Copy by Keiji Uchiyama
レース当日の仕様(及び変更点)■ 車 両Bimota db1SR フレームNo. db100663 ■ エンジンエンジン本体:ストック シリンダーヘッドO/H 無鉛対策・バルブシート) エンジンオイル クラッチ板 ■ キャブレター京浜 FCR39φ 2 アクセルホルダ削り出し GUZZI SPORT JINGUSHIにて製作 ■ 排気系エキゾーストパイプ Rensport サイレンサー ■ ホイール 3.50-17 db1SR:Marchesini ■ タイヤ F:MICHELIN Hi-Sport TX15 120/60-17 ■ ブレーキF:マスター brembo 19φ Racing Radial F:キャリパー brembo削り出し4pot Racing F:ディスク 300φbrembo鋳鉄 フローティング F:キャリパーサポート 削り出し GUZZI SPORT JINGUSHIにて製作 R:キャリパー brembo 2pot R:ディスク brembo 220φ鋳鉄 フローティング ■ クラッチマスターbrembo 13φ ■ サスペンションF:MARZOCCHI M1R R:OHLINS リザーバータンク別体式(車高調整付) ■ ハンドルデイトナ ■ タンク8.5Lワンオフアルミタンク オイルキャッチタンク GUZZI SPORT JINGUSHIにて製作 ■ ステップGUZZI SPORT JINGUSHIにて製作 高さはそのままに前方へ30mm移動 ■ メーター廻りGUZZI SPORT JINGUSHIにて製作 ■ スプロケット15/39 ■ カウルFRP製レース用カウル (→アンダーカウルワイド加工) |
出場クラス 2VT(空冷2バルブ二気筒排気量390cc以上)今回出場したのは
DUCATI MHR / 400SS / 900SS / 750 Santa Monica / 750 Lagna Seca / 750 Sports Buell S1 Lightning MAGNI GUZZI 1000 MOTO GUZZI Le Man III / Le Man 1000 KRAUSER MKM1000 BMW R100R / R100GS YAMAHA XV1000 SUZUKI GR650 などです。 |
11/15(金) 快晴
主催のゴールプロジェクトのエントラント向け走行会に有給休暇を取って出掛けることにする。
AM10:00までに横浜市都筑区にあるGUZZI SPORT JINGUSHIに向かうことになっていた(私の住まいは東京都杉並区)が、寝過ごしてしまい遅れる旨電話すると、「ジンさんはもう出ましたよ」との返事。
ジンさん(神宮司 忠男:GUZZI SPORT JINGUSHI代表。世界に名だたるGUZZI Tuner。今回も私と同じ2VTにエントリー)の携帯電話に電話して首都高用賀ICで拾ってもらうことにする。
無事用賀ICに到着、高速入口に向かう右折車線でGUZZI SPORTのCARAVANを発見、私のdbとジンさんのGUZZIが積んであるのが見えた。
スクーターから荷物を移し、車に乗り込む。
「寝ぼすけっ!」
とジンさんが一喝。ごめんなさい。
ジンさんは大渋滞で機嫌が悪いのだ。(誰でもそうか)
用賀から超スロー走行が箱崎まで続く。PM13:00の受付に間に合えばいいが。
常磐道に入ると渋滞も止み、筑波サーキットには受付30分前に到着する。
顔見知りのエントラントに挨拶をしながら走行準備をする。
前回のレースで同じ2VTを走ったClubman編集部の河野くんを見つけた。
Clubman読者なら知っていると思うが、彼もやはりGUZZIレーサーを手に入れ、GUZZI SPORT JINGUSHIでメンテナンスを行っているのだ。
今回はHONDAのタンクを流用してポジションを改善、その他フォーク等にも手を入れ、気合が入っているようだ。
タワー2Fの大会事務局で選手受付を済ます。30分の走行が2セットだ。
受付には前園さんがいた。(前園 京子さん。彼女は今大会の大会事務局長なのだ)
私は2ヶ月前のエントリーの際、エントリー用紙(受理表)に「前園さん、ひとめ惚れしてしまいました」と欄外に書いて郵送したのだ。
エントリーが受理され、送り返された受理表には、それはそれは丁寧にホワイトの修正液で見事に消されていたのだった。
「前園さん、僕のラブレター読んでくれましたっ!?」
と尋ねると、
「こ、こんにちわ……」
と、それきり目をそらしたままだ。
ふーん、前園さんはシャイなんだなあ。
(受付するために並んでいた人たちがイブカシゲナ目で私を眺めていたのは言うまでもない)
さて、レースガスを買ってエンジンに火を入れることにする。
すると、日曜日のMT-1(モデファイド・ツインクラス。今大会は2DAY開催)に出場する鶴岡選手が我々のところに来てくれた。
彼は強豪ひしめくMT-1クラスにMOTO GUZZI 1100SPORTで参戦するのだ。(グッツィスポルト&GHOSTからエントリー)
MT-1には、招待選手であのAlan CathcartもOVER OV-10Aを駆って参戦する。頑張れ、鶴岡選手。
PM14:30 一回目の走行時間
となった。(エア圧はF2.0/R2.1)
ジンさんはクシタニのツナギを新調した。
ヘルメット越しには年齢を見間違うばかり(鼠年生まれ式根島出身の48歳。数年前から寂しい頭髪と口ヒゲ、大きな眼と長嶋ばりのハイトーンボイスがトレードマーク。失礼)の派手さ、といいたいところだが、
「腹がきついんだよねー」
と、ワンサイズ大き目にするんだったとしきりに後悔している。
私は前回エントリーしたTRANS ECHO(予選17位/決勝12位 レース中のベストタイム1’11″851)以来のサーキット走行となる。
ジンさんは前回のレースで終盤毎週一秒ずつラップタイムを短縮。ベストは8秒台。この前はエビスサーキットに出かけ、DUCATI 851らを大外刈りで下してきたらしい。恐るべし中年なのだ。
GUZZI,TRIUMPHのチューニングでは世界一のジンさんは、自分の造ったレーサーに自分が乗ってもやっぱり速く走ってしまうのだ。
今回は前回走行時より、主だったところではタイヤ/ホイールサイズ・ファイナルギヤ比・ブレーキディスク径ダウン等(前述のとおり)大幅な変更後初走行であった。
おまけにタイヤも新品。
ジンさんからは
「タイヤが温まってからアクセルを開けること。ジェッティングとファイナルの具合を知りたいので何も考えないで走ったら駄目だ。どんなフィーリングかちゃんと説明してくれよ。サスの動きが解るように、も少し敏感じゃないとなー」
と言われております。
生返事しながらコースイン。
2VS,NS-2,MS-2,SSC-883,TT-1,TT-2,TN-E,TN-Mとの混走となる。
さすがに250ccの初心者マーク付の皆さんとはラップタイムに相当な差がある。
「レースでもこんなに簡単に抜けたらなあ」
と思いながら周回を重ねる。
ところが、である。
簡単に抜けたのはどうやらそれだけではないようだ。
これは、まだタイヤが温まっていない1周目から感じていたのだが、何しろ、バンクしても恐くない。
しかも、フルバンク→切返し→フルバンク(特にCXコーナー)がやたら軽い。
フロントタイヤを120/70から120/60にしたのと、リヤのホイールのリム幅インチダウン(5.50→4.50。タイヤは前回と同じMICHELIN TX25だが180/55→160/60)が相当貢献しているようだ。
ジンさんに引っ張ってもらおうと思ってジンさんを探すべくペースダウン、ジンさんの姿を後方に発見し、20mくらいの差になったところで再びアクセルを開ける。
ところが、3周を過ぎても抜かれない。
前回のレースでは、裏ストレートでは他車を一台も抜いたことがなかった。ジンさんよりスターティンググリッドも後ろだったが、スタートでうまく4~5台をパスできたが周回毎に裏ストレートで次々に抜かれるので、本当に悔しい思いをしたものだ。
ジンさんのGUZZIにもあっさり抜かれたのを思い出す。多分10~15km/hくらいの速度差があったはずだ。
それとも旋回が楽になったので第2ヘアピンの立ち上がり加速が良くなり、最高速もファイナルのせいで上がってる?
不思議な感覚のまま30分一度もピットに入らずに走り終えた。
走行時間終了後、興奮気味に
「ジンさん、全然違います。全然違うんですよ。CXがですねー」
とまくしたてると、
「タイヤが大いに関係あるんじゃないかな。今までは街乗りのdbの足廻りを使ってたから、タイヤのラウンド形状もベストな状態じゃなかったしね。
それに、うちのGUZZIレーサー(’96B.O.T.T. ETクラス優勝車。鈴木 誠選手のライディングでコースレコードも樹立)だってタイヤは160/60だしブレーキも300φだしな。
とにかく、dbに180/55-17のタイヤはパワーロスとハンドリングに悪影響しか与えないはず。ブレーキだって320φで乗りこなすのはdbの車重じゃ絶対必要ない。
かえってバネ下が軽くなった分、ハンドリングも良くなってるよね。レースはファッションじゃないんだよ」
という返事が返ってきた。
それに、ファイナルを41→39にしたのにも関わらず、今まで一瞬しか入らなかった5速ギア(シフトアップ後すぐにシフトダウン)に裏ストレートで60mくらい走れるようになった。不思議である。
ジンさんは、
「ハイトが変わるから39丁でいいはず」
といっていたので結局はそのとおりにしてもらったのだが、他はともかくこの部分だけは最後まで納得がいかなかった。
ところが、前述のとおり、トップギアに入る。
以前は最終コーナーを4速で旋回すると、出口で回転数は6000rpm、ここからアクセルを開けてもエンジンがついてこないので、3速で廻ると出口で吹けきってしまい、どうもうまくいかなかった。そこで、4速で旋回、最終コーナー出口で3速にシフトダウンして加速、もう一度4速に入れて1コーナーに進入していたのだった。
効率的ではないと思うが、6000~7000rpmでのゴボツキ(濃かった?)と、その回転数を避けるためにもそういう乗り方のほうがパワー感もあったし。
今はというと、4速で旋回すると、やはりかったるいので、最終コーナーに進入したら2回シフトダウン、やはり3速で旋回しているのだがファイナルを2丁落としたせいか、立ち上がりで吹けきらないのでストレート入口まで加速する。(このへんがまた不思議)
まあ、これはこれからのキャブセッティングの詰めと人間のレベルアップで、どうにかなるだろう。
(最終コーナーの進入スピードが上がれば4速7000rpm以上で廻れるか? このあたりはアドバイス下さい)
MT-1に出場する鶴岡さんは午前中のスポーツ走行を終えていたので、ジンさんのタイムを計っていたようだ。
6LAPほどしか計時しなかったらしいが、10秒台で走っていたらしい。
後半はジンさんに抜かれないで走れたし、結構乗れていたので、自分が何秒で走っていたのか知りたいところだ。
ガスを補給すると、4.7L入った。
今回レース用アルミタンクを装着したが、実際の容量を事前に計ることができなかったので、データをとらなければならない。
通常なら燃料コックから残ったガスを抜いて逆算し容量をチェックするのだが、あろうことかタンクシートをはずすための工具を忘れ、コックをON/OFFするのも指がカウルと干渉して届かず、一苦労であった。
見かねたジンさんが手伝ってくれたが、私が工具を忘れたのも手伝い、少し(相当)イライラした面持ちで
「もう少し自分で面倒をみるようにしなけりゃ駄目だ。それにしてもこのタンクは使えないな。このタンクは “捨て” だな」
とバサリと切り捨てられてしまった。
このタンクはdb1クラブの松浦さんから借りたタンクなのだった。
松浦さんが参戦していた当時のレースではレギュレーション上、樹脂製タンクは禁止されていたので、db1でレースに出場する人は本人の意志とは関係なく金属製のタンク装着が義務付けられていた(どうせなら鉄ではなく軽いアルミで造るのは当然か)。
これはあとで解ったのだが、操作のしにくい場所にある燃料コックだが、当時はまだFCRキャブレターは世になく、ノーマルのデロルトもしくはマロッシを負圧コックで使用していたので、コックの位置を変える必要がなかったのである。
(FCRに負圧コックの組み合わせでは高回転時にガスの流量が足らなくなりガス欠状態になる)
PM15:30 二回目の走行開始だ。
ゲート前に松本 憲明さん(元全日本500ccライダー:そのキャラクターは今更説明不要)が陣取っている。
憲明さんはTN-EクラスにALBI SPEEDの仲川さんの造ったXR600で出場する。
このレースには宗和 孝宏選手(元カワサキワークス。昨年はDUCATI 916でAMA Super Bikeに参戦。今シーズンはやはりDUCATI 916で全日本Super Bikeに参戦)もKX250でエントリーしている。目の離せない好バトルが展開されそうだ。
憲明さんはゲートに並ぶマシンを眺めながら行ったり来たりしている。
フィーリングが良かったので一回目の走行からどこも変更せずにコースイン。
すると、ピットロードから出てほんの40mの1コーナーで私の直前にコースインしたばかりのハーレーが見事に玉砕している。
それを見て慎重に走り、第2ヘアピンの立ち上がりで、路面に白い二筋の後を残し、やはりハーレーが横たわっている。南無阿弥陀仏。
気を引き締めたのも束の間、暖気も充分だったので、2周目からガンガン走る。
何しろ、良く曲がる。実にキモチイイ。
やっと(といってもまだdb1レーサーで3戦目だが)所謂、”dbらしい走り” ができたような気がする。
とにかく、進入が楽だ。勿論、ベストなラインは一本だろうが、一人で走らない限り、それぞれレベルの違ういろんなライダーと一緒に走ることになる。そんな時、今日のdbなら本当に安全に走れる。これは、ともすると実戦でもかなりの武器になるだろう。
速く走れるのは勿論いいことだが、危険回避のマージン大、それにレーサーとはいえいつもシビアなコントロールが要求されるパワフルな車では私にはきっと手に余るだろう。現在はエンジンパワーを間違いなく車体が上回っているので、とにかく安心だ。
いろいろアジャスタの付いているOHLINSだが、さあセッティングだ、なんていじってみたい気持ちはあるものの、とにかく平和なのでどこも触らないことにした。もう少しペースが上がって未知のゾーンに差し掛かったらきっと効果を発揮するだろうその時まで楽しみを残しておこう。
また、この日初めて経験したことがある。
ブーツを接地したことだ。
乗れてくると、意図的ではなく膝パッドが接地するものだが、まさかブーツを接地するとは思いもよらなかった。
最近のレース用ブーツは爪先の外側にガードが付いているのが多いが、あれはちゃんと意味があったのですねえ。
しかも、ソール側ではなく、天井側が擦れてしまう。走行後に確かめると、擦れたガードのかすが帯状にソールに向かってへばりついている。「おお」とほくそえんだものだ。
ただ、6000~7000rpmでのイキツキが1回目の走行よりも顕著になり、ちょっと不満を残した。
残り10分くらいで、突然なんのまえぶれもなくエンジンが片肺になった。
場所は第2ヘアピンを立ち上がり裏ストレートで3速全開の時にそれは起きた。
アクセルを戻し、もう一度開けてみるが直らない。
そうこうしているうちに、最終コーナーに差し掛かってしまい、ピットロードへ入れなくなってしまう。
ガス欠だろう、と思いながらしかたなくそのまま一周し、CARAVANのところまで戻った。
すると、鶴岡さんが
「1周しか計ってないけれど、10秒5でしたよ」
とこともなげにいう。
なんと、ベストより1秒4も速い。
これは驚きだ。
今までのベストはすべて予選もしくはレース中に記録している。
それほどテンションの高くない練習中にベストラップを更新したのは勿論初めてのことだった。
ほどなく、ジンさんが戻ってきた。
症状を説明すると、ガソリンがまだたっぷりと入ってるのを確認し、ジンさんはほんの少し、一度だけエンジンをかけてすぐに止めた。
「これはバルブかピストンがイッてる可能性もあるな」
えーっ、!!
である。
ジンさんは続けてこう言った。
「音は聞こえなかったか。とにかく、何かおかしいと思ったら、すぐに止めることだ。本当にバルブが落ちていたとすると、クランクまで駄目になって、その時はたいしたことない故障でも、場合によっては100万仕事になることもある。必ずレッカーが来るんだから、そういう時は止めて待ってなきゃ」
音はしなかったか、という問いに、私は音は聞こえなかった、と答えたが、まるで自信はなかった。
というのも、もともとオートバイの動きに鈍感で、仮にセッティングを出すために走行後、どんな感じだった?と尋ねられてもうまく答えることができないことの方が多かったからだ。
それに加えて、私のレーサーのdb1SRはフルカバードボディで、通常の車よりも音が聞こえにくくなっている。
実際に、私のdbにはFCRキャブレターが付いているのだが、このキャブレターは構造上、極低回転時はフラットバルブのカタカタ音がするのはFCRを装着しているほとんどすべての人が知っていると思う。(このFCR特有のカタカタ音がどうも故障しているみたいで好きになれない、と、パフォーマンスはともかくFCRを嫌う人が少なくない)
私のdbはFCRを装着しているとはまったく思えないほど見事にカウルによって遮蔽されている。
だから、エンジンから異音がしたとしても気付かなかったのではないか、と思ったのだ。
いずれにしても、今日の走行は終了したので、もう暗くなりはじめたサーキットでバラす訳にもいかず、横浜のジンさんのショップにもどってその原因を探ることにした。
Clubmanの河野くんも、走行中に勢い良くオイルをマフラーから吹き出し、オフィシャルに黒旗を振られて走るのを止めたらしい。
帰りの車中で、ジンさんが携帯電話でショップに連絡をしている。
「Clubmanの河野くんと、内山くんのエンジンが終わっちゃったかもしれない。明日のレースまでに直さなきゃなんないから今日はハマルな。え? 今サーキット。これから筑波でるとこ」
PM17:30にサーキットを出発、帰りの車中で、ジンさんに恐る恐るきいてみる。
「もし、エンジンだとすると、ピストンやバルブありますかねえ(ドキドキ)」
「GUZZIならあるけどね。ドカちゃんはないなあ」
「ということは明日のレースは出れませんね?(くそー、レースは出れないし、一体幾らかかるんだ)」
「リタイヤ届け出しておこうね」
それきり口数が少なくなり、普段滅多につくことのないため息がつい多くなったのは皆さんの想像どおりです。
とにかく、今日は寝れそうにない。
PM20:00、GUZZI SPORT JINGUSHIに到着。
店にはメカニックの倉田さん、西田さん、鈴木 誠選手(今シーズンはTeam Katayamaから全日本Super Bikeに参戦)、ヒデキくん(ジンさんの息子)が今や遅し、と待っていた。
dbを車から降ろし早速点検してもらう。
「どうかなんでもありませんように」
祈るような気持ちで作業を見つめる。
まず、カウル類がすべて取り外される。エンジン外観に異常は見られない。
次にプラグをチェック。ピストン/バルブ破損に伴う電極部への付着物はない。(ここでやや安心する)
次にプラグホールに計測器を当ててセルを回し、圧縮のチェック。
まず、前シリンダ。正常。
続いて懸念の後シリンダ。計測器の目盛りがみるみる上がる。正常!!
やった、これでエンジンのダメージはない。原因は他にある。飛び上がって喜ぶ。
すると、西田さんがプーリーにかかったタイミングベルトがヒトコマ飛んでいるのを発見、正規の位置に戻してプラグを装着、セルを回すと何事も無かったかのようにエンジンはかかった。バンザーイ。
どうやらシリンダヘッドO/H時に新品に変えたタイミングベルトの初期伸びが原因だったようだ。
ただし、ここでジンさんの言ったことを忘れてはいけない。
今回はヒトコマだったからダメージはなかったが、フタコマ以上ズレていたら、間違いなくピストンとバルブは干渉していただろう。
やはり、エンジンに問題があったのは事実なので、そのままサーキットを一周したのは、やはり大きな過ちなのだ。
肝に銘じておこう。
とたんに元気を取り戻した私は、デジタルカメラを取り出し、皆さんの作業風景も含めてそこらじゅうを撮影、にわかカメラマン気取りだ。
デジタルカメラなのでパチパチとはいかず、音も無く撮れてしまうので勝手が違う。ただ、その場でどんな絵が撮れたのか確認、気に入らなければ捨ててしまえるのがいい。
そうこうしてるうちに、Clubmanの河野くんがGUZZIレーサーをワンボックスに積んで現れた。
つい4時間前、私と河野くんは、サーキットを出る時に、お互いがどんよりとした顔つきで、
「(僕も)エンジンがイッちゃったよー」
とこぼしていた。
後ろから眺めていると、GUZZI SPORT JINGUSHIのスタッフが車からレーサーを降ろすのを見つめる河野くんはがっくりと肩を落としている。
ところが私は、嬉嬉とした顔で
「(僕のエンジンは)大丈夫でしたよ!!」
と彼の落胆など気にもせずのたまってしまった。今思うと思慮深さが足りなかった。
さて、これから大手術が始まる。
リフトに乗せられたGUZZI Le Man III レーサーは4人の熟練したGUZZIスペシャリスト達の手によって、あっという間に(本当にあっという間に)裸にされ、右側シリンダーヘッド・シリンダー・ピストンが外されてしまった。
原因は、ピストンとピストンリングにあるらしい。
ジンさんはここまでの作業の中で、エンジン内部を見るにつけ、
「こりゃあ、宝の山だなあ」
と漏らしている。
マーレーのピストンや、鏡面仕上げの軽量コンロッド等、そのお世辞にも美しいと言えない外観の河野くんのGUZZI Le Man III レーサーは、文字どおり羊の皮を被った狼だったのである。
応急措置がとられ、エンジンに火が入れられたのは翌16日のAM3:00頃だった。
ジンさんの家に泊めてもらうことになっていたが、このまま店で仮眠することにした。
これには理由がある。
内緒だけど(もう内緒じゃないか)、実は5月のTRANS ECHOの前日もジンさんの家に泊めてもらったのだが、ジンさんのところのでっかい飼猫がしょっちゅう私にちょっかいを出してきて、まるで寝れなかったのだ。
今からでは出発まで3時間くらいしか残されてないが、絶対に眠っておきたかったので店のショールームにエアマット(あの指でプチンプチンと潰すやつ)を二枚重ねて床に敷き、その上で横になった。倉田さんはいったん家に帰って着替えを済ませて店に戻ってきた。
11/16 AM6:30、店を出発する。(快晴)
サーキットには、エントリーしたジンさんと私に加えてメカニックの倉田さん、ヒデキくんの計4人で出掛けた。
第三京浜都筑IC~横浜線~首都高速~箱崎と進むが途中の渋滞情報で、嫌になってしまう。
堤通~常磐道谷和原ICまで、ずっと渋滞らしい。(延べ20km以上)
「まあいいや、なんとかなるだろう」
と全員が思ったが、これが本当に強力な渋滞で、昨日車検は済ませているとはいえ、遅々として進まない様子に全員が心配になってくる。
昨日の受付でもらったプログラムを取り出し、予選の時間を確認、我々の出走する2VTの予選はAM9:30スタートだ。AM8:30でまだ三郷だ。この調子じゃ予選は間に合わない。プログラムを眺めながらジンさんは、
「2VTはエントリーがフルグリッドの32台未満だから、予選が走れなくても嘆願書を出せばなんとか走れるさ。内山くん、その時は内山くんの大好きな前園さん(前述の女性:大会事務局長)に頼むことになるなあ。丁度良かったじゃないの」
なんて、一風変わった励まし方をする。
予選が走れないのは残念だが、そうだな、決勝を走れないわけじゃないしな、と幾分気が楽になる。
ただ、ジンさんは昨日の夜タイヤを交換しているので、予選を走れずにぶっつけじゃちょっと厳しいだろう。
谷和原IC手前でようやく渋滞が解消、一般道をブレーキが故障しているかの如く一路筑波サーキットへ向かう。
なんと、AM9:10過ぎにサーキットに到着、慌ただしくエアーを調整し、ウォームアップする。
やはり、2VTにBuell S1 Lightning で出場するオサダモータース社長の長田さんが、
「全然こないから、間に合わないかと思ったよ。良かったねえ」
と声を掛ける。ジンさんと長田さんはレースの結果で負けた方が明日1万円の弁当を御馳走することになっているらしい。
天気は何もいうこと無いくらい良いのだが、気温が低く、おまけに相当風が強い。
ご存知のとおり、私の乗るdbはフレームのまったく見えない正真正銘のフルカウルなので、横風には、からきし弱い。
本来なら武器となるはずの軽い車重もこのときばかりはアダとなる。困ったものだ。
なんていってるうちに予選が始まる。
今回は私と同じBimota db1に乗るエントラントは、ゼッケンNo.1の五月女さん(db1SR;チームオサダ)、No.4の藤本さん(db1;DENT ASUNARO T.)、No.11の古園さん(db1SR;タカハシレーシングクラブ)、それに私の計4台だ。
五月女さんと私はタイムはどっこいどっこい、レースになるとスタートだけはよい私のほうがリザルトは1、2番くらい上といった感じ。普段は街乗りにも使用されているようで、カウルのスペアがないと(dbのカウルは恐ろしく高いのだ!!)、アクセル開けられないよな、と言っていた。
藤本さんとはおととしの正月に行われたPOWER HOUSEの走行会で初めて知り合い、私はその時は街乗り用のdb(レーサーはまだ持ってなかった)で参加、藤本さんのdbレーサーを見て、dbを惜しげも無く純レーサーにしてしまうとは、なんてもったいない、と感じたのを思い出す。
その後藤本さんは奥様ともども、レース初心者の私に本当に親切に接してくれた。セッティングデータやレース時の具体的なアドバイス、サーキット移動時のトランポの手配など、私にとってはとても心強い存在だ。最近ついてないらしく、今回はdbのエンジンを壊してから復帰第一戦目となる。いつも予選・決勝ともに上位に顔を出す藤本さんは今回のレースにもTN-MクラスにCRM250Rでダブルエントリー(前回は2位!!)と、とっても元気な歯医者さんである。
一方の古園さんは、dbでここ2年くらいはこの類のレースにすべて出場している。皆勤賞があれば間違いなくもらえるはずだ。前回のTRANS ECHO(T.S.O.T.だったかな?)でも6位入賞と、実力あるライダーだ。
今やこのカテゴリでは排気量のハンデのあるdbはとても最強マシンとはいえないが、絶対にdbじゃなきゃ嫌だ、という4人だ。皆さんとは同じdbに乗る同志として、ここ最近いろいろ情報交換をさせていただいている。
先輩方、今後も宜しくお願いいたします。
予選は無事転倒者も出ずに終了
ポールはこのクラスのレコードホルダーの斉藤選手(BMW R100GS;1’06″949)がゲット。2番手に Le Man III(このGUZZIは凄いよ)の阿部さん、続いてDUCATI MHRの新井さん、DUCATI Santa Monicaの近藤さん(TRANS ECHO優勝)、KRAUSER MKM1000(もはや、どこにもその面影はない)の小泉さんと続く。
迎え撃つdb勢としては、藤本さんが予選6位、古園さんが7位と二列目スタート、五月女さんは12位だった。
タイムは全体に低めで、やはり気温と風の影響が大きいようだ。
私は、というと次のとおり。
ピットロードを出てコースイン、やはり風が強い。はじめの5分はフリー走行なので計時はされない。タイヤを気にしてゆっくり走っていると、藤本さんと古園さんが勢いよく私を抜いていった。グリーンフラッグが振られ、タイム計測が開始されたが、明らかに乗れていない。昨日1/3ほど削れ落ちたブーツのガード部分はまだ一度も接地していない。ジンさんは何処を走っているのだろうか。
とはいえ、このままじゃまずい。タイヤも温まり、さて、行くぞと明らかに今までとは違うペースで最終コーナーを立ち上がった。1コーナーを過ぎ、第1ヘアピンをクリア。CXで1速高いギアのまま進入してしまう。第2ヘアピンでは早くインにつきすぎたかな?と思ったが、うまくクルリと向きを変えることができた。裏ストレートを全開で抜ける。昨日と同じセッティングだったが、心配した6000~7000rpmでのイキツキは見られない。
いいぞ。
50mの看板が目に入る。すると、最終コーナー入口で突然エンジンの音が変になり、とっさに昨日の事を思い出し、血の気が引いた。
すぐにイグニッションをOFF、クラッチを切って惰性で移動、スタンド前で車を停めた。
オフィシャルが駆け寄りマシンを早くコース外に出すよう指示する。
ピットに戻し、倉田さんに症状を話す。
一通り話を聞き終えた倉田さんがセルを回す。ウォーン。何ともない。2気筒ちゃんと動いている。
ガス欠だ。
私は、他車と比較して2、3周少ない周回しかできなかった。
結果は1’12″549で予選10番手(3列目)。さあ、これから、という時にガス欠したのである。出走前が慌ただしかったこともあり、昨日の走行会で走ったままGASを入れなかったのだ(もつと思ったんだけどなあ)。タイムを見ると、止まる直前のラップが予選タイムとなったので、あと0.5~1秒くらいは短縮できたのではないかと悔やまれる。
ただ、予選10番手というのは自身最高グリッドなので、いつものようにスタートが決まればとりあえず1周目はいいところを走れるさ、と都合の良い解釈をする。
ジンさんが予選を終え、心配して
「止まってたけどどうしたんだ」
と駆け寄る。
「たぶんガス欠です。ここではちゃんと回りましたから」
ジンさんは幾分ほっとしたようだ。
ジンさんはというと、予選14番手。明日の昼飯のかかっている長田さんはジンさんより1つ上の予選13番手だ。
「長田のオヤジに付き合っちゃってさあ。あのBuellも直線はなかなか速いんだよな」
「寒いからタイヤが気になってなあ。サイズも変えたからラウンド形状が変わって倒しこみでちょっと恐くなっちゃったよ」
やっぱりなんでも直前に変えると良くないんだな、と思った。
ただ、ジンさんのベストは8秒だ。予選タイムは1’14″020なのでなんと7秒落ちだ。
しかし、スロースターターのジンさんのこと。決してあなどれない。
事実、前回のTRANS ECHOでは、周回毎にベストラップを更新、毎週1秒ずつ短縮し、遂に最終ラップで8秒台を叩き出したのだ。
ところで、予選終了時に「どうでしたか?」といつも顔を見せてくれるはずの河野くんが来ない。
昨日の徹夜の作業も空しく、やはり右シリンダーから白煙を吹き出してしまったらしい。
「黒旗振られる前にやめましたよ」
こちらに来るなり河野くんは力なく言う。
これで河野くんとは決勝は一緒に走れないことになった。
河野くんと私はラップタイムが拮抗しているだけに残念だ。
予選では昨日の走行会で出ていた6~7000rpmでのイキツキ現象がそれほど顕著には出なかったのでジェットのセッティングはこのままで決勝に臨むことにした。
ガスを抜いてみると、1.5リットル残っている。せっかくアルミタンクを装着したがどうやらガスを全部使い切れないようだ。決勝のレース周回数は12周なのでそれをを計算し6.5リットル追加することにしたが、満タンになってしまったので1リットル抜いておく。もうガス欠は御免だ。
腹が減ったが、ジンさんと相談して食事はレースの後にすることになった。
さて、予選ではしっかり暖気できなかったために油温が充分に上がってなかったので、決勝前は充分暖気しておこう。
倉田さんヒデキくんが暖気場に押していってくれた。75℃まで上昇させておくことにした。
~ 未完にて終了 ~
スナップ集
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長田さん(オサダモータース社長)のBuellレーサー(T.S.O.Tのときに撮影) |
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古園さんのdbレーサー(T.S.O.T.のときに撮影)このエンジンは金がかかって いるよー |
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松山さんのdbレーサー(T.S.O.T.のときに撮影) |
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カーボンカウルで包まれたデグナーdb1 |
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塗装の美しい(なんと自分で塗ったらしい)藤本さんのdbレーサー |
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MT-1クラス出走前の鶴岡選手とグッチィレーサー |
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レース中にコースレコードを樹立した阿部義正選手のGUZZIレーサー |
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ピットインしてメカニックの作業を待つアラン・カスカート選手&オーバーレーシング・OV10A (アランカスカート選手は残念ながらリタイヤ) |
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MT-1クラス、もう1台のオーバーレーサー(ヤマハのパラツインを積む) |
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ピットで見かけたbb1レーサー |
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bb1のフロント周り |
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2VT優勝、MT-1(転倒リタイア)ダブルエントリーの斉藤さんが駆るフラット・BMWレーサー |
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2VT 3位入賞の小泉さんのクラウザー(T.S.O.T.のときに撮影) |
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ツーリングでも一緒に走ったことのある中野さんのクラウザー(T.S.O.T.のときに撮影) |
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T.S.O.T.で見かけたベベルレーサー |