深い経験に裏打ちされた自信をもった熟練・風俗レポーターたち?@ススキノ
登場人物紹介
プロローグ
5月辺りからML内で以前より有った北海道ツーリングの話がにわかに現実味を帯びてくる。
北海道幹事をやって頂いた札幌の寺山氏とは直接メールをやり取りする仲だったので、以前より氏の所有するコルサに試乗出来ると言う話に私の食指は大きく動き駄目元でカミさんや娘達を連れての北海道旅行にこのツーリングをぶつけて見ようと思い帰宅後、カミさんに話しをするとあっさりと
「どうせ北海道に着いたら単車にしか目が行かなくなるし、いっそ私達はその間に帰省してくるから、貴方一人で行ってらっしゃい。」
といわれ思わず小躍りしてしまいました。
それからは吉澤さんや北海道の方々と計画を立てる日々が続き、あっという間に7月末の出発になりました。
(嘘1)殆ど寺山さんに計画を作ってもらい、加えて甲谷さんや倉貫さんにアドバイスを頂き宿泊から食事まで面倒を見てもらいました。
(By 深川)
走った人たち
甲谷貢 Mitsugu Kohya
北海道旭川市在住 / DUCATI 916SPS
寺山一史 Kazushi Terayama
北海道札幌市在住 / DUCATI 888SP5
深川俊哉 Toshiya Fukagawa
東京都世田谷区在住 / DUCATI 916
吉澤智志 Satoshi Yoshizawa
神奈川県川崎市在住 / Bimota db2
ラスタマン まさし Masashi the “Rasta Man”
北海道札幌市在住 / TOYOTA LITEACE
呑んだだけの人たち
倉貫眞一郎 Shin-ichiro Kuranuki
北海道小樽市在住
菅原勇 Isamu Sugawara
北海道小樽市在住
藤川圭一 Keiichi Fujikawa
北海道札幌市在住
第1日
7/31
8/01
深川の場合
準備
毎日の積み重ねで二千キロ走ってしまうのと違い、連続して二千キロ前後を走るのであるからなるべく消耗品は交換することにした。
オイルは交換後千キロ程度しか走っていなかったが、途中にサーキット走行が含まれ
ていることからフィルターも含めて交換した。
その他エアフィルター、フューエルフィルターも交換して、チェーンの張りを確認してと、出発直前はろくに仕事もせずにメンテに明け暮れた。
不安材料が在るとすれば先日自分で交換したタイミングベルトのテンションとパンクぐらいと言うところまでになった。
荷造りは比較的楽であった、と言うのもサーキットで着るツナギは事前に札幌に宅急便で送ってしまい、持ち物は下着及び替えのTシャツ程度で、勢い余って買ってきたタンクバッグと大型ウエストバッグにはまだそこそこの余裕すら残った。
これにディパックをシートカウルにゴムで縛り付け1週間分の荷物はさしたる苦労もせずに916に積むことが出来た。
出発
7月30日の朝、自宅を出て仕事に旅行支度で向かった。
夜になり吉澤氏が会社の方に集合してくれて暫くの談笑(暇つぶしとも言う)の後、午前2時過ぎにいよいよ第一目標の大洗港に向け出発した。
目黒から首都高速に乗り、四つ木インターで国道6号に乗り替え一路北上する。
途中給油の際に吉澤氏の荷物の調整をしたがどうも収まりが悪いらしく再度茨城県に入った辺りで休憩した際に結局背負うことを諦めシートカウルに縛り付けた。
深夜だというのに予想外に6号線は交通量が多く、in関東並とまでは行かない物のそこそこ非合法な手段にて流れを縫って進んだ。
6号線から東に曲がる辺りで休憩+食事をしていたら東の空が白んできた時計を見ると4時だ、7時までに大洗港に着けば良かったのでまだまだ余裕はあったが、茨城のコンビニでこれ以上居ても仕方が無いので6号を外れて北東方向に県道を進む。
コンビニで船の中で飲食する物を買いこんだが、旅慣れた吉澤氏の助言で2リットル入りの水を購入、あちこちのカバンに余裕があったので問題なく収納できたが、吉澤氏は背中から積み替えたシートカウルの荷物の上に更にコンビニ袋を括り付けていた。(後ほど落ちそうになり何度か縛りなおす)
しばし道に迷うが大した事も無く程なく大洗港に到着、まだ5時台である。
駐車スペースには我々の前に到着していた数台の単車が在ったがまだ数は少ないチェックインのカウンターすらまだ閉まっており、暫く時間をつぶしてようやく7時にチェックイン。
8時ぐらいになってやっと乗船することが出来、ほっと一息ついてそのまま出航したことすら気が付かないまま昼過ぎまで寝てしまう。
目が覚めると吉澤氏は寝なかったらしく持ってきた本を読んでいた。
連れ立って喫煙コーナーに向かってあれこれ話し込む。
吉澤氏が博学で話題が豊富なことから帰りのフェリーでもそうだったがフェリーの中での退屈さはかなり緩和されたと思う。
そうこうしている内に夕食の時間になり食堂でビュッフェ形式の食事を摂り、場所を変えて更に談笑し。深夜1時を回った頃に再度寝ることにした。
食堂の行列に並んでいる時に後ろに並んでいた年配の二人連れがなかなか良い味を出しているコンビであったため、その後3日間に渡り彼らの文化人類学的な分類に関して話が弾み、我々は旅の相当部分の退屈な時間をこれによって無くすことが出来た。
改めてこの場をお借りして彼らの存在その物にお礼を述べさせていただきたい。
雨の支笏湖(雨の支笏湖周辺、オロフレ峠、inススキノ)
船が港に入ると我々もすぐに車両甲板に降りて下船を待った締め切った場所なのだから少しは遠慮をすれば良さそうな物だが北海道を目の前にした若者は一斉に暖機運転を始めた船底は只でさえ暑苦しい船底の車両甲板で2サイクル4サイクル、単気筒から4気筒までが一斉に暖気を始めたもんだからあっという間に排気ガスの坩堝と化し我々が下船できた頃には意識すら遠のいており、下船前に降りた所で記念撮影などなんて言うことはすっかり忘れ、寺山さんの姿が見えないからそのまま一気に埠頭からの脱出を計った。
最初の信号で止まっていると信号の反対側にチタンコートスクリーンの888が見えた。
始めてみる寺山さんの単車であったが、こんな時間に軽装でフェリー埠頭に向かっているのは間違いが無いだろうと二人で交差点の反対側から手を振ると、やはり寺山さんだった。
挨拶もそこそこに3人で最寄のファミレスに向かい軽い朝食の後ガソリンを補給して一路支笏湖方面へ向かう。
支笏湖周辺はすでに雨が降っており、部分的にウェットとなっていた。
寺山さんの先導でその後はオロフレ峠を目指すが、途中道の駅で休憩をした。
国道と道道を使いオロフレ峠に着いたが、着いてすぐに雨が本格的に降ってきたのでたまらずに登別を経由して海沿いの観光食堂まで下りて昼食とした。
海沿いは幸い曇っていたが雨は降っておらず、休憩の後白老から道道を使って再度支笏湖へ向かう、途中雨も降り始めダートも走った。
支笏湖手前で雨がかなり激しくなったので一旦駐車場で弱まるのを待った後、支笏湖近辺で給油を済ませその後は一気に札幌の寺山家まで走った。
夜はススキノでの食事会が予定されていたので雨で汚れた体を近所の健康ランドで綺麗にして(万が一のときの為に)オイル交換を旅先でやる予定だった方のオイルを買ってススキノに向かった。
ススキノでは夜の部のみ参加の藤川さんも加わり楽しい食事会となった。(一部疲れ果てて寝ていた人もいましたが)
その後寝ていた人もやおら元気になり、ススキノのぽん引き研究の為に辺りを散策して(当然散策が主目的でした)モスバーガーでお茶をして解散となりました。
昼食にて
ススキノにて
第2日
8/02
深川の場合
DAY2 オイル白濁事件 (HSP走行会中止、路上オイル交換、in小樽)
翌朝起きるとやはり雨は止んでいなかった。
半分は雨での走行会を覚悟をしていた物の、やはりサーキットはドライで走りたい。 そんな事を考えているうちにHSPから電話がかかり雨が激しくて危険なので走行会を中止して欲しいとの事だ。
嬉しいやら、残念やら不思議な気分であったが、参加予定者で連絡がつかない方がいたので、HSPまで行って様子を見ることにした。
札幌からHSPまで定山渓、中山峠を経由して1時間ぐらいの走行の予定だったがやはりお約束の路上修理が待っていた。
(注:吉澤氏の旅先故障、修理は今更説明の必要も無いであろう)
昨日から雨の中を走り回ったので、今回から付けて来たTDMRとK&Nフィルターの為にエアボックスが無くなり、ブリザーをリヤフェンダーに回して先にフィルターを付けていたのだが、このフィルターから雨水を吸い込んだらしく札幌を出てほんの10分も走るとオイル警告等が点き始めたとの事だ。
オイルレベル確認窓から見るとなるほどオイルが乳化しておりフィラーキャップを取ってみると白いグリス状の物が付着している。
ここで慌てないのが吉澤氏と言うか、寺山さんのトランポに昨日買って来たオイルも積んであったし工具一式も積んであったので、道端でオイル交換をすることになる。
ただ乳化したオイルがそうあっさりと抜け出るとも思えなかったので、ひとっ走り寺山さんがフラッシング用の安オイルを買いに行くことになった。
その間我々二人は道端で待っていたのだが、向かいの家のお爺さんが出てきて
「壊れたのか?」「どこから来たのか?」「人を待っているなら家に上がってお茶を飲んで行け」
と、本当にあり難い言葉をかけて下さり、ついには道端では危ないのでそこの板金屋の軒先を使わせてもらえるように交渉してきてやると言って我々は板金屋さんの軒先で作業が出来るようになりました。
更に板金屋さんからはメロンパンまで頂き、買い物に戻っている寺山さんには申し訳無いが、昼食まで済ませてしまいました。
程なく寺山さんがオイルを買って戻ってきて、軒先でのオイル交換となった走行会も中止になったとはいえHSPでは甲谷さんが待っているのだが吉澤氏はオイルクーラー、タペットカバーまで外して乳化したオイルをなるべく抜き出していた、ついにはサイドケースまで外すと言い出したので寺山さんがたまらずに止めたが、黙っていたらとことんばらしそうな勢いではあった。
オイル交換も済み、再度3人でHSPに向かったが、HSPに着いたのは、すでに日も傾きかけていた午後4時近くだったと思う。(甲谷さんお待たせしました)
待ちくたびれた甲谷さんも加えた4人で余市(ニッカウヰスキー工場のある町)経由で小樽まで走る。 途中国道から外れてフルーツ街道なる(恐らく旧道)を通り、倉貫さんのご紹介で取った小樽グリーンホテルにチェックインした。(値段は安いが安普請ではない良いホテルでした、倉貫さんお世話になりました)
シャワーを浴びて倉貫さんも加わり、5人で浜茶屋なる魚介類の旨い飲み屋で酒盛りを開始、本来HSPで合流する予定だった菅原さんもお店で加わり6人で単車余田話に花を咲かせ、更に倉貫さんのご案内で運河沿いの地ビールパブに河岸を変え2次会へ突入。
旅の疲れでだんだん起きているのが辛くなる頃に散会となりました。
寺山さんはこの後札幌まで戻り、翌日の仕事をこなして(やっつけてとも言いますが)、2日後の富良野で再度合流することになっていた為、その後車で札幌まで戻った様です。
エンジントラブル?
HSPにて
小樽の夜
@倉貫さんおすすめ寿司屋
@小樽ビール・ビアホール
@夜の小樽
第3日
8/03
深川の場合
DAY3 北の国から (小樽、札幌、日高、占冠、富良野)
前日までの雨が嘘の様にこの日は朝から快晴で、(この後暑さとの戦いになる事など想像すらしていなかった)取り敢えずは晴天に感謝しながら小樽駅前のファーストフーズにて朝食を摂り前日の作戦通り高速道路にて札幌経由大谷地インターから国道274号線に入る。
お約束のトラブル発生
甲谷さんのSPSの自殺スタンド格納防止でフロントローターに止めてあったゴムフックを外し忘れて動き始めてしまい、ローターその物にダメージは無かったもののセンター部分を傷にしてしまいました。 ご愁傷様です。
北海道に来て初めてとも言える北海道らしい道を西へ進み、マオイの丘道の駅で休憩
だんだんと暑さが激しい事に辛くなってくる。
再度274号線を西に進むと信号の先で旗振りの格好をしている人を発見。
良く見ると警察関係の方で、たまたま準備中であったのかこちらを見ているだけで停車させられる事は無かったです。
灼熱の中更に西に進み日高から国道237号線に乗り換えて富良野手前の占冠で昼食しましたが、なかなか味のあるレストランに我々3人は感動すら覚えました。
出てくるのが遅いのは言うまでも無く、オーダー聞き間違いやカウンターの前のお客さんの食べた皿も下げずで甲谷さんはかなりお怒りの様子でした。
昼食後もしばし占冠で休憩した後、最終目的地である富良野に到着。
宿に着く前に甲谷さんにファーム富田という観光ファ-ムに案内してもらいラベンダーの終りかけを見る、吉澤さんはここでいきなりベンチに座ったまま昼寝に入るが、起きるなり宿にチェックインして更に走りにいこうと提案。
走りに行くかどうかは別にして取り敢えずチェックインする。
寺山さんに手配して頂いた富良野ハイランドは第3セクター経営のようだが小高い丘の上にあり、街からは外れている分だけ静かで良いところでした。
風呂が宿泊客でなくても利用できるので風呂はすこぶる混んでいましたが値段も安く言う事無しでした。
チャックイン後は走りに行く予定が日中の暑さからか着くと疲どっと出て部屋のベッドでゴロゴロと休み(ここでも吉澤氏爆睡)、。
多少時間を持て余したので前々日の雨でドロドロになっている916を風呂のタオルでざっと拭き掃除したりして、予約の時間になったので夕食に向かう。
夕食は数あるコースの中からステーキセットにしたがなかなか正解で、値段から想像していたよりは春かに美味しかったです。
(昼の占冠のイメージがやっと拭えた)
夕食後は甲谷さんに迷惑をおかけするぐらい吉澤氏と恒例のベシャリをし外出することなく就寝しました。
274号にて
占冠村の昼下がり
富良野にて
第4日
8/04
深川の場合
DAY4 ラスタマン登場 (丸山湖、狩勝峠、然別湖、三国峠、大雪ダム、訓子府)
久々のワインディング、
翌朝も目を醒ますと前日と同じような晴天だった。
前日に申し込んでおいたので朝食を摂りに食堂に向かい、甲谷さんは和定食、吉澤さんと私は洋定食を食す。
荷造りをして暫く待つと爆音とともに寺山さんが到着する。
当日の朝札幌を出発してこの時間に富良野まで来て、更に一日我々の日程を一緒にこなそうと言うのだから頭が下がる思いだ。
と言うのも今日は今回のIN北海道でも一番のハイライトコースで350キロぐらいの行程を予定しており、寺山さんは合計で600キロ近い走行となるからだ。
以前より連れて来てくれると約束していた寺山さんの御学友のマサシ君(以下ラスタマ
ン)が寺山さんのトランポを運転してきているのだが、途中ではぐれた為やや送れて到着。
二日ぶりの再会の挨拶もそこそこに取敢えずは移動開始となった。
まずは一旦昨日来た道を少し戻り、東に進路を変えて丸山湖から南富良野を通り、狩勝峠まで走った。
昨日まではあまりワインディングもなかったのでそれほど飛ばさなかったが、寺山さんを先頭に国道38号線を3桁目の数字が2度ほど変わる水準で吹っ飛んでいく。
私は心のブレーキの効きが良いので見る間に寺山さんや吉澤さんに離されていく(T_T)
しばらく走ると狩勝峠の頂上でラスタマンが待っていて、全員で展望台から十勝平野、帯広方向の雄大な景色を見たり、写真を撮ったりした。
その後新得と言う小さな町で評判の手打ち蕎麦を食べたが、店では関西弁のヤクザ者が大きな声を張り上げて暴れていた。
昼食後は国道274号から道道85号を経て扇ヶ原の展望台で小休止。
この辺りから気温もぐんぐん上がり、吉澤DB2や、寺山SP5は次々とパーコレーションに悩まされ始める。 おかげで暫くは着いて行くのに命がけではなくなった。
扇ヶ原から目と鼻の先にある然別湖に移動して、パーコレーションが収まるのを待ってから、再度山を降りたが、この辺りから吉澤DB2のリヤブレーキがフェードし始める。
一旦、糖平で給油して、国道273号線の三股に有る白樺林の中の喫茶店で再度休憩。(この日は暑くて暑くて、単車も人間もそれなりに休憩を必要としていました)
この時DB2のリヤブレーキを点検するが、焼けた跡は有るものの、原因特定にまではいたらず。
そろそろ日も傾き始めて気温も下がってきたので、そこからは一気に三国峠を越えて大雪ダムの休憩所で甲谷さんがお別れなので皆でお見送り、甲谷さんはそのまま国道273号線を西進して旭川に戻り、我々は国道39号線で今夜の宿泊地訓子府に向かう。
ここからは比較的単調な国道で、北見市の入り口手前から寺山さんの道案内で裏道を通り一気に訓子府の町に入る。
訓子府と言う町は今回の計画に出てくるまで知りもしなかったが寺山さんのご好意で寺山さんの亡くなられた御婆様の家を使わせて頂いた。
風呂を沸かすのも手間なので、4人で近所の公営温泉に漬かり並びの焼肉屋でたらふく焼肉を食べた後にコンビニに寄って翌朝の食べ物及び酒類を調達して家に戻り、ラスタマンと寺山さんは際限無く呑みつづけるので下戸の私と吉澤さんは早々に寝てしまった。
さあ、出発だ
扇ヶ原展望台にて
糖平湖にて
ライディング写真を見る
トラブル・パート2
甲谷さん帰宅
訓子府・泊
第5日
8/05
深川の場合
DAY4 ラベルダ見参 (阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖、鶴居村)
翌日も相変らずの御天気でこうなるとむしろ暑くてたまらない。
御身可愛さから比較的厚手のジャケットを着ていたのだが、この日はたまらずにTシャツでスタートしてみた。
寺山さんも背中をばたばたと見せながらTシャツで快走している。
訓子府からチミケップ湖という湖を抜ける非常に細い道道494号線を使うが、途中から延々とダートになり、すれ違う車の方に聞くと、まだまだダートは続くとのことなので一旦訓子府まで引き返し、道道27号線国道240号線経由で阿寒湖に向かう。
阿寒湖湖畔で暫く休憩と昼食を摂り、今度は国道241号線で弟子屈町を抜け、屈斜路湖、摩周湖を足早に回る。
この時、屈斜路湖の周遊道路でお財布をばら撒いていた若者の財布を拾って届けるが、その後謝礼は届いていない。(今日現在、まだ間に合います)
摩周湖は残念ながら評判通りの霧に覆われていて湖面はまったく見えず。
鶴居村のペンションに着く時間を考えてその後は休まず鶴居村の安藤さんのペンションにむかった。
鶴居村に着きペンションが何処かとさ迷っていると路地から出てきたハイラックスに乗るゴツイ人がニコニコと笑ってクラクションを鳴らしている。
ヒョットするとと思いそばに行くとはたして安藤さんであった。
そこからは安藤さんに先導してもらい無事ペンションに到着、早速玄関先に置いてあったラベルダに皆で群がり色々とお話を伺う。
しばしラベルダを眺めた後は、部屋の方に案内して頂き各自くつろぐ。
ちなみにペンションの建物は安藤さんご本人が大工の修行をして建てた物で随所に安藤さんの拘りが感じられる建物だった。
鶴居村は丹頂鶴が飛来するので有名だそうだが、実際に我々がペンションの周りを歩いていると路地を挟んだ向こう側の湿原に丹頂鶴が飛んでいた。
また、安藤さんはギターのプロフェッショナルでもあり、北海道限定でライブの手伝いなどをしているとのこと、特にボトルネック使いが絶妙であった。
近くのスーパーにおやつの買出しに行って、ペンションに戻ると程なく夕食になり母屋の一階に有るギターだらけの部屋で4人で食事をした。
(これまた安藤さんこだわりの料理の数々!)
食後に無理を言って安藤さんにギターを弾いていただくが我々もと言うことで誰も何も引けないのに楽器を手に写真だけでも撮る。
(安藤さん大切なギターを触りまくってごめんなさい)
私はその後風呂を浴びて寝たが、酒のみの二人がその後何時まで呑んでいたかは知らない。
阿寒湖にて
屈斜路湖・周遊道路にて
鶴居村・到着
未知のとの遭遇?
ヒッコリーウインドの夜
第6日
8/06
8/07
深川の場合
DAY5 さらば北海道 (コルサ試乗、港を目指してひたすら走る、ラスタマンの嘆き、乗船)
翌朝は前夜に安藤さんに教えてもらった鶴居村のマンクスルート(公道サーキット)に2日目に乗ることが出来なかった寺山さんのコルサを走らせに行った。
限りなく違法行為なので詳細は割愛させていただきますが、形こそは似ているものの、916とコルサはまったくの別物であることを今更ながらに思い知りました。
コルサに若干?のトラブルが発生したために、鶴居村を出発するのが遅くなり、我々は慌てて十勝港を目指すことになった。
十勝港は鶴居村から200キロほど離れていたが、途中昼食を摂りながらも十勝港にはほぼ予定通りの時間に着く事が出来た。(当然寺山さんを先頭に非合法な速度域での移動となりましたが)
寺山さんはここからラスタマンと一緒にトランポで札幌に戻る為、乗船までに寺山さんのSP5をトランポに積み込み、しばし歓談の後に乗船時間が来た。
我々も手早くトランポに積んでもらっていた荷物を単車に積みなおして船に乗りこんだ。
船内で単車を固定してやっと船室に着くと寺山さんから携帯に電話がかかり急いでデッキを探すがどちらが埠頭かもわからずおろおろする。
後から聞いたところでは、ラスタマンは「東京の人間は冷たい」と嘆いていたそうだ。
申し訳無いことをしたと思うけど、実際デッキがどこにあるのか良く判らなかったのでした。
寺山さん達に手を振ると彼らも札幌に向け走り出し、我々も程なく船が出航した。
その後は30時間以上動物園の動物の様に船内でひまを潰しながら過ごす。
翌日夜にやっと東京湾に入港し、吉澤さんと二人、横浜だの川崎だの、千葉の夜景を見ながら旅の終わりにふさわしく二人の得意のベシャリで最後の時間を潰し。
東京港から上野毛のメキシカンレストランまでざっと移動して、パン粉50%以上と思われるハンバーグを食べ長い長い旅が終わった。
エピローグ
この年で生まれて始めて単車の長旅に出た。
最初はコルサに乗りたい一心だった。
結局コルサでサーキットは走れなかったが、気の置けない友人と非常に思いで深い一週間を過ごす事が出来た。
色々な方にお世話になり、色々な方に迷惑を掛けた。
この場をお借りして、御礼、お詫びを申し上げたい。
平成11年7月30日~8月7日
延べ走行距離1,671キロ
Corsa on the Road
さらば北海道 !!