さて、ようやくここから本編です。

1951 NSU

1961 NSU

1961 KKM150
150cc
study
PRIMA

1960 IFA/MZ KKM 175W

 東ドイツのIFA VEBは、東側陣営に組み込まれた旧BMW・アイゼナハ工場を母体とし、BMWやDKWの技術資産を継承しています。

 IFAは、DKW系技術となる2スト・エンジンを積む、自社のトラバント(Trabant)やヴァルトブルク(Wartburg)のヴァンケル化を計画します。

それに併せて、オートバイのヴァンケル化も考慮されました。(エンジンは、同じくルーツをDKBに持ち、オートバイ生産を担っていたMZが担当します)

 世界初のヴァンケル・エンジンを積むオートバイはIFA/MZ KKM 175Wだったことは、IFA VEBがNSUよりライセンスを購入するのは、公式には1965年でああったためか、最近まで西側には知られていない事実でありました。175Wは試作車で終わりましたが、38,000km 以上のテストが行われた車両は現存しています。ドイツ統一後、MZが業績を公開したときに判明しました。

 175Wは、1959年式 IFA BK 350の車体に、オリジナルの水平対向・2ストローク・343ccに換わって、水冷・シングルローター・175cc、ツインプラグ、シングルキャブのヴァンケル・エンジンが積まれたものです。出力はオリジナルBK 350の約2倍となる24馬力に及びましたが、ギアボックス、シャフトドライブといった駆動系はBK 350用をそのまま使用しています。

1965 IFA/MZ KKM 175L

 その5年後の1965年には新たな試作車が造られています。

 エンジンは全く新たに設計され、フィテル&ザックスの市販エンジンを参考にしたと推測される、25馬力を発生する175cc・空冷シングルローターは、MZ ES250 Trophyに積まれます。

 こちらも3台のみ製作された試作車で終わり、市販されることはありませんでした。

 NSUからのライセンスが1969年に切れると、IFA/MZにおけるヴァンケル・エンジン開発は、2輪、4輪ともにおいて終了しました。

1971-73? HONDA 125

 空(油)冷シングルローター・125ccと推測されているヴァンケル・エンジンは、CB125に積まれていますが、ホンダの公式発表はなく、全く謎のバイクとされています。(しかし、スタジオ撮影された写真は残っている・・・社内資料が流出したのでしょうか?)

 製作時期も定かではなく、CB125の年式から1971年から73年の間と推測されています。

 製品開発の検討用に造られたことは確かですが、ホンダはヴァンケル・エンジン製造ライセンスを購入していないため、エンジンはモックアップか、あるいは社外製品を流用したものと思われます。

1972 Yamaha RZ201 CCR

 後発のヤマハは、日本で一番最初にライセンスを購入したヤンマーと技術提携を行い、1972年の東京モーターショーで、RZ201を発表します。

 本来、ヴァンケル・エンジンは軽量コンパクトのはずなのですが、6,000rpmで60馬力を発する水冷2ローター・660ccを積むと、車重は220 kgと重いものになりました。

 ここで余談ですが、その前年1971年のモーターショウに、ヤマハは、2サイクル水冷4気筒750ccを積むGL750を参考出品しています。

1971 YAMAHA GL750 (Prototype)

 驚異のスペックを持つ(と予想される)エンジンは、当時、絶賛開発中だったTZ700/750の試作エンジンをそのまま持ってきたのでしょう。(TZ700/750は1974年にデビューしますが、すでにこの頃から開発されていたことは知られています)また燃料噴射式が採用されていますが、これはトヨタのレーシングエンジン開発から得られた技術でしょうか?

 このGL750、RZ201と随分と印象が似ています。もしやと思い、お互いの車体を重ね合わせると・・・エンジン以外のあらゆる細部が
完全に一致します。タンク形状まで同一です。つまりGL750の2スト並列4気筒をヴァンケル・エンジンに積み換えたものがRZ201なわけです。

 結局のところ、この車体は、10月開催の東京モーターショーより先の8月より市販が開始されていたTX750(並列OHC2気筒)のものなのでした。

1972 KAWASAKI X99 RCE

1974-76 Hercules (DKW) W2000

 ハーキュレスW2000は世界最初のヴァンケル・エンジンを積む量産オートバイとして歴史に名を残しています。

 1904年創立のハーキュレスはドイツのオートバイ・メーカーで、1966年、フィテル&ザックス傘下のDKWに吸収されてしまいます。それ以降、ハーキュレスのブランドは、モペットや125cc以下の小型のオートバイに使われるようになります。

 そのような扱いの中、ヴァンケル・エンジンを搭載する、先進的で高価なオートバイにハーキュレスの名称を冠することが決まったのは、すでにNSUの失敗を知った後なので、万が一の場合、DKWの名前を傷つくことが無いようにする配慮だった?どうなんでしょう?

 1970年のIMFA(フランクフルト・ショー)で発表されたプロトタイプ。ザックスにはオートバイ用ヴァンケル・エンジン、KC24/KC27がまだ無かった頃で、据え付け用のKM914を使用しています。(画像ではマフラーが見当たりませんが・・・)

BMW R26の4速ギアボックスを流用したシャフトドライブ駆動でした。

 詳細不明ですが、BMWの車体にフィテル&ザックス製ヴァンケルエンジンを積んだカスタム車。W2000のプロトがBMWのトランスミッションを流用していることにヒントを得たのでしょうか?フレームの取り回しはW2000のプロトに酷似しています。

 量産車と同じ6速ギアボックスが用意され、チェーン駆動となったプロトですが、フロントブレーキはまだドラムのままで、マフラーも片側一本出し、フレーム形状も量産仕様とは異なっています。

 1973年、フレームは量産版と同じですが、フロント・ドラムブレーキ、片側一本出しマフラーのプレリリース版が50台限定で販売されます。

 親会社にあたるフィテル&ザックスから供給されるオートバイ用ヴァンケルエンジン(KC27)は、(強制)空冷、シングローター、294ccから6,000rpmで27hpを発しました。

 キャブレター・モデルは、エンジン潤滑のために1:25の2スト用混合ガソリンを使用していました。キャブレターは、ビング(BING)の”64/32/17A”。(後期型にはインジェクションが採用され、分離給油方式となります)

1977-79 Hercules W2000 Injection

 後期モデルはインジェクションが採用されます。オイル・タンクとポンプも装備され、分離給油方式となりました。

 約1,800台が市場にでました。1977年、ハーキュレスは生産設備をノートンに売却します。

1975-76 Hercules Wankel racer

Sachs-/Hercules-Leuten
Sachs / Hercules とドイツのバイク雑誌PSは協力して耐久レーサーを製作。
初レースは1975年4月のオランダ、Zandvoort
1975年のバルセロナ24時間では19位
ライダーはVolker Briel と Hermann Wittor.
レギュレーションにより750ccクラスを走らなければならなかった。

1976年には水冷エンジンのセカンドバージョンが作られる。出力は50 hpまで向上
1976年5月ルマン1000 kmシール破損によりリタイア

1975 Hercules GS – KC29

ISDT 1975

USAのDoug Wilford 、イタリア人の Ivan Saravesi、ドイツ人のFritz Wetzel の3人が 1975年、マン島で行われたISDT (International Six Days Trial)に出場。

#235 Doug Wilford

#216 Ivan Saravesi

1976 Hercules 502 GS – KC31

1974 (Proto.) / 1975-76 SUZUKI RE5


1978-80 Van Veen OCR 1000

BSA & NVT (Norton-Villiers-Triumph)

1969-70 BSA A65

 BSAのエンジニア、デビッド・ガーサイド(David Garside)は1969年、ヴァンケル・エンジンを自社のオートバイに載せることを決め、NSUよりライセンスを購入します。ガーサイドは、フィテル&ザックスのシングルローターエンジン(294cc 32hp@5,500rpm)を使って開発を始め、それをA65に積んだ最初のプロトタイプを造りました。

ヴァンケルエンジンを積むBSA A65
トップボックスは収集したデータを記録するユニットが入っています。

BSA Starfireに積まれたヴァンケル・エンジンには冷却ファンを追加されています。

1971-72 BSA Bandit/Triumph Fury

 ガーサイドは引退したBSA/トライアンフの設計者ベート・ホップウッドの協力を得て、ヴァンケル・エンジンのツインローター化を行います。(294ccX2=588cc、70HP基本設計はSACHS KM914)このエンジンが今後、長期間にわたり開発されていくエンジンの始まりでした。

 そのエンジンを積む車両には、Triumph Bandit 350 ( BSA 350 Fury:BSAはトラアンフの親会社でした)が選ばれました。

ツインローター・ヴァンケル・エンジンを積むBSA Bandit

1973 P39 Mk1

1973-74 P39

 Triumph Banditが、フロントブレーキがディスクとなった後期型に入れ替わっており、サイレンサーの取り回しが変わっています。このプロトは少なくとも同時に2台造られており、その一台は雑誌などへの露出が多く、”赤タンク(Red Tank)”の通称をもらっておりました。

P40? Norton Commando

 1973年末に政府主導で英国オートバイ業界は再編され、NVT(Norton-Villiers-Triumph)が形成されると、なぜだがトライアンフの親会社のBSAの方が消滅してしまいます。これにより、BSAのヴァンケル・エンジン・プロジェクトはノートンに移行されることになります。

ノートン・コマンドのフレームに積まれたヴァンケル・エンジン

UAV

P41 1984-89 Interpol II

1978 P42 – prototype

P42 1986 (“Classic” early model)

メタグリーンの個体

P43 1988 (“Classic”)

1984 P51 he first water-cooled Norton Rotary

1989-92 P52 “Police Commander”

1989-92 P53 – “Civilian Commander”

1990 “water-cooled Classic”

1990年のバーミンガムショーで2台の新型が展示されたが、ノートンには売り物がなかった(F1 は海外市場で有望だったが、エミッション基準に適合できないでいた。)。ノートンは倒産する。

足回りはコマンダーで使用したヤマハのパーツである。P41/P43 Interpol II and Classic seriesではイタリア製のパーツだったが

P55 1990-1991 (F1″)

P55B 1991 (“F1Sports” alias “TT”)

1990 P55 – “F1”

1991 P55b – “F1 Sports”

1992 F1

1991 F2

1992 TT won

Rotary development ended with production in 1993.

初期のレーサー

1988 RC588

1989-90 RCW588

1991-92 NRS588

1992- Roton (Rotary Crighton) / Crighton Norton

2006 NRV588 / NRV700

2009年、英国人実業家でありノートン・レーシング社長のスチュアート・ガーナー(Stuart Garner )がノートンのブランドを買い戻した[16]。これ以降、英ドニントン・パークに1400m2の工場とオフィスを設置し、『コマンドー961SE』『コマンドー961カフェレーサー』『コマンドー961スポーツ』の市販を開始した。また、ヴァンケル・エンジンを搭載したレース用マシンNRV-588/NRV-700の公道版の市販も計画している。
2009年5月30日~6月13日の間イギリスのマン島で公道レース「マン島TTレース2009」開催されますが、このレースに16年ぶりに出場

CR700P

VNII-Motoprom

Vostok S-565

1974 RD-501B

強制空冷縦置き1ローター 排気量495cc 38ps/6300rpm
シャフトドライブ。

1985 RD-660

空冷横置き2ローター 総排気量660cc
チェーンドライブ。

1987 RD-515

1987 RD-517

515のサイドカーバージョン
prototype
水冷縦置き1ローター 495cc 50ps
ギアボックスはDneprのものを流用(4速)。
シャフトドライブ

19?? Rotor V-500

終わりに