横浜は都筑にある家具量販店IKEAの駐車場には、場所柄?、なかなか個性的なクルマが停まっていることが多いのですが、今回、イセッタを見かけました。
大きなライト、左右フェンダーに張り出たバンパーなどから判断するに、US仕様でしょうか?
ブローバイホースあたりからか、オイルが垂れており、フロアに染みを作っています(笑)
扇風機が実働っぷりを物語っています。
西岸良平氏の『三丁目の夕日・夕焼けの詩』でイセッタを扱った話があることを思い出しました。唐突ですが、ここでご紹介したいと思います。
題名はまんま『イセッタに乗って』(ビッグコミック・オリジナル 2010年2/20号)
鈴木オートに聞いたことのない名前の外車の修理依頼。気後れした社長は従業員の六さんに仕事を押しつけます。
引き上げに訪れた外車オーナー宅は、当然、お屋敷。有栖山家。そこにイセッタが・・・
お約束の『ドアがない!』
作者、西岸氏はイセッタ好きなのでしょう。イセッタ初見のマンガ読者にも詳しすぎず、足りなくもない適度な解説が入ります。
マンガの解説には2人乗りとあり、また、多くの資料でも定員2名となっていますが、メーカー謹製のブローシャ(カタログ)には3(2.5)人乗っていますね(笑)
全長がマンガでは2,285㎜、メーカーのカタログでは2,355㎜と違う値になっています。これはどういうことでしょう!? 実はBMWイセッタには初期型、後期型があって(後述します)、2,285mmは初期型の全長で、2,355mmは後期型の全長なのです。マンガのイセッタは後期型なのですが(サイドウインドウの形状から分かります)、前期型の値を拾ってきてしまったわけです。 マンガに『後輪の間隔がせまい』とありますが、構造はこうなっています。 前輪トレッドは1.2m、後輪トレッドは前輪の半分以下の0.5m。リアを超ナロートレッドにして、ディファレンシャルギアを使わずに済まし、製造コストをおさえるためです。 イセッタのエンジン・レイアウトはほとんどの資料でリアエンジン・リアドライブに分類されていますが、エンジンは明らかに後軸よりも前に位置しており、実のところ、ミッドシップと思われるのですが・・・ |
軽免許を持っているという有栖川家のお嬢様、アリス。わざわざアリスというニックネームを持ちだしたのは・・・イセッタはハンプティ・ダンプティということなんでしょう。
無事、修理が終わった後日、お嬢様からドライブに誘われる六さん。すわデートかと意気揚々に出かけると、目的地は茅ケ崎と知って驚く。
実は、六さんは長い道中のトラブル対応要員として要請されたのだった。
西岸先生には、アリスとイセッタの別の話を描いてほしい!!(実写版があれば、アリスには、若いころの後藤久美子が適役だったんじゃないだろうか!?後藤久美子は、ジャン・アレジからプレゼントされたディーノ246gtをギクシャクさせながら乗っていたということだから・・・)
さて、ここいらでイセッタのウンチクを、長々とおっぱじめたいと思います。
1953 – 1955 ISO Isetta
イセッタはBMW製として有名ですが、オリジナルはイタリア・ミラノのイソ社にあります。(イソ社については語るべきことがたくさんあるのですが、ここでは割愛します)イセッタは「小さなイソ」という意味。
冷蔵庫から始まり、スクーターやスクーターベースの3輪トラックを製造していたイソ社、社主レンツオ・リヴォルタ(Renzo Rivolta)氏は、もはや飽和状態、競争過多となっていたスクーターとの差別化を図り、『自社製スクーターのエンジンを使った大量生産向きミニカー』を企画します。
グライダーやヨットの設計経験のあるエルメネジルド・プレティ(Ermenegildo Preti)氏がイセッタの設計に起用され、イソ社のチーフ・エンジニア、ピエルイジ・ラッジ(Pierluigi Raggi)氏が加わり、2人がイセッタを形あるものに結実させました。
Ermenegildo Preti / Pierluigi Raggi
プレティ氏の仕事グライダー、軽飛行機にたくさんの仕事を残されていますが、いくつかランダムにピックアップいたします。 1939 CVV 5 Papero 1941 LOMBARDA AL 12P
AL 12Pに乗るプレティ氏本人。 1946 PR2 Saltafossi 1959 Aviamilano P19 Scricciolo |
イセッタの初期プロトタイプ。当初、3輪でしたが、安定性を欠くとの理由で、4輪に変更されます。
プレティ氏(左)と社主リヴォルタ氏(右)がシートに座っており、ラッジ氏は右端で立っています。
エンジンはイソ製のスクーターから流用された、2ストローク・ダブルピストン直立単気筒236ccで、9.5HPを4,500rpmで発揮します。
ダブルピストンとは、ダンデムに並んだ2つのピストンが逆U字型でつながったひとつの燃焼室(プラグは1本)を共有し、片方のピストンが吸気機能だけを、もう片方が排気機能だけを受け持つという仕組みで、混合気と燃焼ガスの流れ(掃気)をスムーズなものとする狙いがあります。
(下左)シリンダーを外すとピストンがタンデムで並んでいるのが分かります。(下右)画像のコンロッドは200ccエンジン用ですが、イセッタ用も同じ構造です。イセッタのダブルピストンはそれぞれのストロークが異なり、ボアxストロークは、48mm x 64.3mmと48mm x 66mmとなっています。
エンジンはミッドシップ、車体右側にオフセットして横置きで搭載されます。
特徴的なフレーム。簡潔にまとめられています。
余談ですが、右側オフセット横置きミッドシップは、1980年代半ばの最強Gr.Bラリーカー、プジョー205ターボ16も同じレイアウトです。ただし205ターボ16は4WDでしたが。
イタリアのクルマらしく、ミニマムカーであってもモータースポーツとは無縁ではなく、イセッタは1954年および1955年のミッレイミリアに連続出場を果たしています。
1954年のミッレミリアでは7台のイセッタが出場、5台が完走。完走率は優れていましたが、また、ノーマルの最高速度85km/hのクルマで平均速度70km/h以上で全行程1,600kmを走りきったという大健闘でしたが、総合順位でもクラス別順位でも最下位集団を占めざるをえませんでした。
#2100 Mario Cipolla/L Brioschi 総合176(/182/378)位 クラス30(/35/71)位
#2101 Domenico Stragliotto/Adolfo Montario 総合177(/182/378)位 クラス31(/35/71)位
#2102 L Pastori/Silvio Casiraghi 総合178(/182/378)位 クラス32(/35/71)位
#2104 V Pasqualicchio/L Rontani 総合179(/182/378)位 クラス33(/35/71)位
#( )内は、(/完走数/出走数)
翌1955年のミッレミリアにも4台出場、4台完走。完走率は100%と極めて優秀でしたが順位は期待できないのは前年と同じ。(あまたの資料で1954年のミッレミリア出場の言及はなされているのに、1955年について触れられているのはほとんどありません。なぜなんでしょうか?)
#3 Mario Cipolla 総合267(/279/534)位 クラス54(/62/103)位
#2 Adolfo Montorio 総合269(/279/534)位 クラス56(/62/103)位
#1 Anselmo / Peluso 総合277(/279/534)位 クラス62(/62/103)位
イセッタのイタリア国内における総生産台数は、1953年から1955年までの3年間で1,000台程度に過ぎず(凝った構造でミニマムカーとしては割高でした)、50万台以上生産された FIAT 500 トッポリーノの牙城にはかすりもしませんでしたが、その製造ライセンスを外国企業に供与することには大成功し、スペイン(Espana Iso)、ベルギー(?)、フランス(VELAM)、ブラジル(Romi)、ドイツ(BMW)、英国(Isetta of GB)でライセンス生産が行われました。(なお、Isetta of GBでの生産は、イソからライセンスを受けたBMWがさらにライセンス供与したものです)
VELAMでは4年間で5,500台、Romiでは6年間で3,100台程度の生産に終わりましたが、BMWでは8年間に16万1,000台以上の生産と大成功に終わりました。(BMWのライセンシーだったIsetta of GBでも6年間で3万台の生産となかなかの成功)
●1954 – 1958 Iso Isetta Autocarro
クーペの1年後に市場に出た商用トラック。最大積載量500kgと大マジメ。エンジンはクーペと同じ2ストダブルピストン236ccですが、フレームは大型化され、リアアクスルはクーペとは異なり、コンベンショナルなトレッド幅を持つリーフリジッドで、ディファレンシャルギアを装備。生産台数は4,000台以上とされています。
チェーンではなく、ドライブシャフトによる後輪駆動。
Isetta on Isetta。イセッタの乾燥重量は350kgですので、余裕を持って積載可能です。
1956 – 1961 Espana ISO Isetta
María Dolores “Lola” Flores Ruiz
スペインの著名な歌手、ダンサー、女優
スペイン・イソはイソ本社の直接経営ではなく、スペインの企業家、Sinforiano Echeverria氏が、1951年、イソ本社からのライセンス供与を前提に、スペインはマドリッド、カラバンチェルに設立したものです。
当初はイソのオートバイや3輪トラックなどを生産していましたが、1956年よりイセッタとそのトラック版アウトカッロの生産を開始します。1961年まで生産は続けられ、生産台数は少なくとも1,000台以上とのことです。
Isetta made in Belgium
ベルギー製イセッタについては、現時点で、残念ながら何も分かりません。
イセッタのライセンシーについて語られるときに必ず出てくるベルギーですが、その詳細が書かれていることは不思議とありません。
ちなみにBMWイセッタの後継600の後継、700もベルギーでライセンス生産されています。
1955 – 1958 VELAM Isetta
VELAM はフランスの企業で Vehicular Leger A Moteur (エンジン付き小型自動車)の略。
VELAM は1953年あるいは1954年にイソよりライセンスを取得、1955年、Suresnesの旧タルボの工場を借りてイセッタの製造を開始します。生産終了は1958年と短命に終わりました。総生産台数にはおよそ5,500台。
ボディ、シャーシはイソのものをそのまま使ってエンジンのみ自社製としたBMWとは正反対に、VELAMではボディ、シャーシに独自の改良を入れ、エンジンはイソのものをそのまま使用しました。
車体は、リア・サブフレームを持つセミモノコックというべき構成で、サブフレームには、エンジン、トランスミッション、アクスル一式が組みつけられ、左右フロントサスは別々に直接ボディにボルト留めされています。
フロントドアは、オリジナルのハンドル式ではなく、ボタンプッシュで開くようにされていたり、スピードメーターはハンドル中央に置かれていたりと、フランス流のエレガンスが演出として加えられています。
フランスでもイセッタは比較的高価にならざるを得ず、シトロエンの2CVが371,000フランのとき、スタンダードモデルで297,000から308,000フラン、豪華仕様(エクラン)で380,000フランもしました。
●1955 – 1958 ツーリズム(Tourisme)
スタンダードモデル。
●1958 エクラン (Ecrin)
豪華版。ハードトップ、スライド式サイドウインドウ、専用フロント・フェンダーを装備。フロントサスにリーフスプリングを使用。エンジン・ハッチを大型化。内装ではグローブボックス、ラジオ、パッセンジャー側のサイドアームレストを追加。消音材を、スタンダードの18ポンドに対し、33ポンドも使っています。
左がエクラン、右がツーリズム
エクランのハードトップ形状がよくわかるショット。
●1955 コース (Course)
フレームとエンジンはイセッタのものを使用し、それに新規にデザインしたボディを組み合わせたレコード・カー。2台製造。
Jean Bianchi と Claude Peslier によって、12時間および24時間連続で平均時速62 – 68マイルなど、いくつかの記録を樹立しました。
●1956 スポルト (Sport)
レジャー用ビーチカー的風采です。
ツーリズムをベースに製作された”ワンオフ”車とのこと。ショーモデルだったのでしょうか?残っている画像で異なるライセンスプレートが確認できますので2台以上は存在したのではないかと思われます。
1956 – 1961 Romi-Isetta
ブラジル・サンパウロの工作機械製造会社であるRomiは1955年にイセッタの製造ライセンスを取得、1956年に車両をリリースしました。これはブラジルで製造された最初の自動車でもありました。
1956年から1958年までイソオリジナルのままのボディとエンジンを持つ車両(スタンダード)を生産していましたが、1959年よりBMW製300ccエンジンを持つモデル(300デラックス)にスイッチしました。製造は1961年までの6年間に、約3,100台が造られました。
●1958 On the road from Santos
1958年8月、ブラジル・サントスで開催されたヒルクライムレースに Romi-Isetta が参戦。
クラスは、以下6クラスで、それぞれの勝者は、以下の通り。
ノーマル
- ~250cc: Alvaro Andrade(Romi Isetta)
- ~1,300cc :Flavio Del Mese(DKW)
- ~2,000cc: Guy Whitney(Porsche)
- 2,000cc~: Costa Waldemyr(Nash Healey)
スペシャル
- ~2500cc: Plinio de Cerqueira Leite(VolkswagenをPorsche 550 Spyder風に改造。タイムは7分51秒)
- 2500cc~: Rafael Gargiulo(Ford 8BAエンジンを積んだワンオフ・シングルシーターでタイムはコースレコードの7分13秒)
●1957 Torpedinho
ブラジルでは著名なコーチワーカー、Comminates は、カービルダー、karts Pozzi の協力の下、Romi-Isetta をベースに、“Torpedinho”(魚雷)を製作。画像は、インテルラゴス(Interlagos) サーキットでの走行シーン。
●1961 Gurgel JAG Prototype
João Augusto Conrado do Amaral Gurgel氏が、自身の自動車製作キャリアの極めて初期に、Romi-Isettaのシャーシに自身が製作したボディを載せた JAG を製作しました。(JAGの命名は彼のイニシャルが由来です)
1969年、彼は Gurgel Motore 社を創設し、現地生産されていたフォルクスワーゲンのエンジンを使って、様々なクルマを大量生産していくのですが、1988年、ついに、エンジンまで自社設計のオール・ブラジル・メイドのBR-800を販売するに至るも、1994年に会社は倒産してしまいます。
1988~1991 GUEGEL BR-800
●1957 Single seater built from Romi-Isetta
Romiイセッタのコンポーネントを使用したシングルシーターの画像が残っています。場所はF1ブラジルGPも行われているサンパウロのインテルラゴス・サーキット。そのほかは不明とのこと。
1957 – 1962 Isetta of Great Britain
ISOよりイセッタ製造のライセンスを受けたBMWは、イセッタを完全にBMW流モノづくりの中に消化、吸収します。そして、BMWは製造ライセンスを、イセッタに興味を失っていたISO本社を飛び越え、英国企業(新業種に転換を考えていた British Railways の一部門であった Dunsfold Tools Ltd., The Locomotive Works, Brighton )に又売りし、イセッタ製造会社 Isetta of Great Britain, Ltd が設立されます。
イセッタが英国に導入される際のレセプションでは、伝説的なドライバー、スターリング・モス(Stirling Moss)が宣伝に駆り出されました。
英国では三輪自動車には免許制度や税制において優遇措置があるため、3輪仕様が追加されました。エンジンはBMW製300ccを使用。
英国の法規では左ハンドル車は高い税が課されるため、ハンドル位置は右に変更されています。それに合わせ、ドアヒンジの位置が左から右に移されています。(ちなみに英連邦のオーストラリア、香港では左ハンドル車は登録すらできません)
また、右ハンドルにした場合、重量物のドライバーとエンジンのどちらもが右側に位置するようになるため、バランスを取るための 60lb (約27kg) のウェイトが左側に積載されています。
3輪の多くは英国仕様の右ハンドルで生産されましたが、ごく少数(1,605台)がドイツ本国において左ハンドル仕様で生産されています。
(左)LHD 3輪 /(右)RHD 3輪
Isetta of Great Britain の広告。『3輪でも4輪でも選べます』とあります。英国では3輪・4輪あわせて30,000台程度生産され、3輪仕様がそのほとんど(25,000台)でした。
1956年に起きたスエズ動乱で石油価格が暴騰したことを追い風に、イギリス国内ではイセッタのようなマイクロカーが数を増やしたのですが、著名なBMCのエンジニア、アレック・イシゴニスは、それを決して愉快には思わなかったようです。彼はイセッタのようなマイクロカーは、安全性などに不安の残るクルマとみなし、英国の自動車メーカーは、新しい安全で安価な小型車を提供すべきと考え、ミニが生まれる(1959年)きっかけのひとつとなった、ということです。
1955 – 1962 BMW Isetta
●1955 – 1957 イセッタ250・スタンダード
BMWは1954年10月、イソとライセンス契約を結ぶと、1955年4月、イソ・オリジナルの2ストローク・ダブルピストン単気筒236㏄エンジンを、自社製オートバイR25用の4ストロークOHV単気筒245ccエンジンに換装したイセッタ250を発売しました。
1955 BMW R25/3
●1956 – 1962 イセッタ300・スタンダード
同年12月には、ボア、ストロークとも拡大し297ccとし、同時に圧縮比も6.8から7.0:1へと向上させたイセッタ300を登場させます。
300は税区分枠いっぱいとなるよう排気量を広げたもので、一方、250であれば、取得が容易だったクラス4ライセンス(廃止されたが継続更新できた)で運転ができたため、250と300は併売され続けました。
●1957 – 1962 イセッタ250/300・エクスポート
1957年に、前三角窓のみ開閉式ではめ殺しだったサイドウインドウ(バブルウインドウ)を廃止、スライド開閉機構をもつウインドウが採用され、ボディ・デザインに変更が入ります。
バブル・ウインドウを持つモデルをスタンダード、スライド・ウインドウを持つモデルをエクスポートと呼んで区別してます。
左:スタンダード 右:エクスポート
●ボディ・バリエーション
BMWイセッタのボディ形状には通常の4輪クーペのほか、3輪クーペ、4輪のみでカブリオレ、ピックアップがあります。
3輪クーペ(エクスポートのみ):英国およびオーストリア向け
カブリオレ(スタンダード&エクスポート)
ピックアップスタンダード&エクスポート
●トロピカル / デラックス
トロピカルあるいはデラックスと呼ばれたモデルには、フロントドアにベンチレーションが追加されていました。
1957 300 Export Tropical
BMWのキドニーグリルに見えなくもありません。
1959 300 Export Deluxe (US)
US向け仕様は、7インチの大型ヘッドランプとナーフ・バンパー(nerf bar)を持ちます。(nerf とは自動車レース中に相手に車体をぶつけて外に押し出す行為をいいます)
●Zモールドトリム
スタンダードにのみ設定されていたZ型にモールドされたトリム。モールドに合わせてツートンカラーにされていることが多いですね。
●スイス仕様
スイス仕様は3輪仕様を4輪化したもので、リアトレッド幅が200mmと極端に狭くなっています。(この仕様は現地の法規に合わせたゆえとありますが、なぜ、そのまま4輪仕様を持ってこずに、わざわざ3輪仕様を4輪化したのかは不明です)
●運転席&メーター
シフトレバー、パーキングブレーキレバー、3つのペダル配置は常識的。
左に見えるダクトはオプションのヒーター。
オリジナル、イソ・イセッタ用のスピードメーター。左が自国のVeglia製。右がドイツのVDO製。真ん中は・・・知らないロゴです。右のメーターに非常に似ているのでVDO製なのでしょうか?
BMWイセッタ用純正メーター。当然というべきVDO製。MPH表示のUS仕様(60mph=96km/h)。最高速85km/hに対し、適度な数字設定でしょうか。
メーターのデザインを模した腕時計があります。詳細不明ですが、公式品だと思われます。
別デザインの純正メーター。
こちらも盤面のデザインを模した腕時計があって、BMWがイセッタ50周年を祝って出したというもの(左)。同じ趣向の腕時計(右)もありますが詳細は不明。
●動力伝達部
エンジンはオリジナルのR25のレイアウトに対し、クランクケースは時計回りに90度ほど、シリンダー&シリンダーヘッドは反時計回りに90度ほど回転させて取りつけられています。(つまりシリンダーはクランクケースに対し、180度ほど回転しています)
ごく短いドライブシャフトを介して、チェーンケース内のフロントスプロケットに動力が伝えられていますが、フレキシビリティ&ダンパー性能を持たせるためにドライブシャフトの両端にラバーカップリングが付いています。
●リアサスペンション
オートバイ譲りのスプロケット&チェーンで動力を後輪に伝えます。サスペンションは1/4リーフスプリングのカンチレバー。レイアウトの関係上、左右のハーフシャフト長が異なっています。
リアブレーキは油圧式ドラムですが、右側にしか付いていません。
●フロントサスペンション
●ボディシェル
シリンダーヘッドのメンテナンス用リッドが開けられているのが確認できます。右側の窪みはスペアタイヤ収納用。
フロントドアを支える剛性を得るために、前面開口部には全周にパイプが巡らされています。
●生産ライン
サイドウインドウ形状から分かる通り、1段下、2段下左はスタンダード。2段下右がエキスポートの生産ラインとなります。
●イセッタとセレブ
ドイツの俳優、映画監督クルト・ユルゲンス(Curd Jürgens)はプライベートでイセッタに乗っていたそうです。
Curd Jürgens
1958年のケーリー・グラントとソフィア・ローレン主演のパラマウント映画 House Boat (1959年・日本公開)で、ケーリー・グラントがイセッタに乗ってパーティにやってくるシーンがあります。
Cary Grant
意外にもエルヴィス・プレスリーはイセッタのオーナーでした。自身の為以外にも、辣腕マネージャーとして有名だったコーネル・トム・パーカー氏に、1957年12月、誕生日プレゼントとして赤い300を贈ったのでした。
オマケ●イセッタの切手2002年12月5日、ドイツで発行された記念切手にイセッタがデザインされたものがありました。どうやら、ドイツで生産されたビンテージカーのシリーズがあるようです。 額面は45ユーロセント。20ユーロセントの寄付。寄付金額の割合が高い気がしますが、この手の切手はそれでも買う人が多いからでしょうか? 余白にイセッタの側面図がプリントされていて気が利いています。 12枚で1シート、 同じ日に発売された他車種。 VOLKS WAGEN TYPE 1 / Mercedes 300 SL
Trabant P 50 / Borgward Isabella Coupé Borgward Isabella Coupé は知らないですね・・・他4台は日本でも有名です。 上のリリースが好評だったんでしょうか、翌2003年の10月9日、再びビンテージカーシリーズが発売されます。 Porsche 356 Coupe
Wartburg 311 Coupé / Opel Olympia Rekord P1
Ford Taunus 17 M P3 / Auto Union 1000 S 今回のリリースは日本人にとってはかなりマイナー路線で、356はともかく、オペルと独フォードはかろうじて・・・という感じ。アウトウニオンは名前だけ・・・Wartburg 311 Coupé は全く知りません・・・ドイツ人ならばグッとくる選択なのでしょう、きっと。 他にイセッタの切手は他にはないかと探してみると・・・ブラジルにありました。ライセンスのロミですが・・・2001年発行だからドイツより1年早い。またドイツのとはタイプ違いでバルブタイプ・ウインドウ。 1シートに6台、過去にブラジルでライセンス生産された歴代車種が勢ぞろいと言った感じです。奇しくも、イセッタ、フォルクスワーゲン、アウトユニオン(DKW)と3台もかぶっています。 となると、世界4大長寿生産モデルでビートルの他、BMCミニ、シトロエン2CV、フィアット500、の切手もあるだろう・・・と思い、せっかくだから探してみました。 ワーゲンはとりあえず2枚。スウェーデンのものと、リベリアのものがありました。探せばまだまだありそうです。 リベリア、知らない国ですね・・・西アフリカの国で、現在は内戦でかなり混乱しているようです。正直、スウェーデンがワーゲンの切手を発行するというのも微妙な感じですが、リベリアとフォルクスワーゲンに何の関係があるのだろう?と思わざるをえません。まあ、リベリアのように外貨獲得のための輸出品として観賞用切手を発行している国は、アフリカなどの未開発国に多く、輸出先の好みを絵柄に反映させているのでしょう。(切手の印刷自体、発行国で行われていないように見受けられますが??) 次はMINI、ざっと探して3枚ありました。 女王の横顔のプリントが英国を意味します。1840年、世界最初に切手を発行した国の誇りとして、国際的な取り決めであるローマ文字による国名表示を拒否しています。(世界最初の切手の絵柄が当時のビクトリア女王の横顔でした) 額面の1st表記も独特で、これは『60gまでの国内速達郵便用』を意味します。普通郵便用は2nd表記となります。(通常の金額表記の切手もあります)この表記方法のいいところは、一度買ったものは郵便料金が変更されてもそのまま使えるところです。物価の変動にとらわれない極めて合理的なシステムと思われます。 EIREは現在、切手の表記にのみ存在する国名です。アイルランド 2cv fiat500 countach
4メン(エンゾ・フェラーリ、カール・ベンツ、ヘンリー・フォードI世、チャールズ・ロールズ&ヘンリー・ロイス) 日本車
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– [ 2 ] につづく –