埼玉にある某旧車ショップの店舗兼倉庫に行ってきた知人から、そこで写した画像をもらいました。そこそこイタ車に関しては事情通のつもりの私でも、聞いたことのないようなブランドの小排気量車が、2、3あって、こういうのを欲しがる人が日本にいるのか!?と、正直、面くらいましたが、その中に似つかわしくないともいえるモトマーチンが一台が混じっているのは見逃しませんでした。

MOTO MARTIN XS1100

 モトマーチンは George Martin が70年代フランスで始めたフレームビルダーで、当初はスイスのエグリフレームのコピー的体裁でした。

 カワサキの2スト3気筒と4スト4気筒、ホンダの4気筒、スズキの2スト3気筒、4スト4気筒、ラベルダの2気筒と3気筒を積む、と守備範囲の広さを豪語するバックボーン・フレームはエグリに酷似しています。

 後にオリジナルデザインのフレームを手掛けるようになります。

 モトマーチンでは、フレームをキットの形で供給し、ユーザーは自分でエンジン・ドナー車を用意して仕上げるのですが、そのやり方では日本での登録が不可能に近いので、当時の日本代理店であったベラミ・マーチン(ベラミ氏一人で趣味的にやっていて一部で有名だった)では、一度、(ベラミ氏が縁故のある?)イギリスで完成車登録したものを日本に入れておりました。それゆえか、日本では、仏語流の”マルタン”ではなく、英語流の”マーチン”と呼ばれることがほとんどですね。

 このXSは、ベラミが代理店だった時代の車両よりも古いフレームなので、現地で登録されてあったものを買い付けてきたのでしょう。

 今も昔も、モトマーチンはなかなか見るバイクじゃあないけれど、その中でもXSエンジンを載せたのはホント珍しい(そもそも、エンジンドナーのXS1100からして珍しい)・・・このへんに、バイヤーのエンスージアスト魂が揺さぶられ、このバイクをして在庫せしめたのでしょうか?

 そう、XS1100は、80年代後半から90年代初頭にかけての一大空冷4発ブームの時ですら全く見ることがありませんでした。見た目がひどく地味な上、シャフトドライブ駆動が致命的だったのでしょう・・・当時すでにチェーン駆動のFJ1100が世に出ていましたから、わざわざXSに手を出す人はおりませんでした。

 なお、モトマーチンはXS1100用フレームには、チェーンドライブ・コンバージョンキットを用意していたので、この車両はチェーン駆動となっています。

 上の画像はずいぶん前のものですが、現時点でもまだ某ショップの在庫としてあるようです。(下の画像は某ショップの最近の在庫目録から)

 しかし、マフラーの作りがひどいな・・・誰の仕事なんでしょう?

 GSXR純正のフォークとホイール、ブレーキ周り一式は日本での作業なのかなあ?純正流用改は、上記空冷4発ブームの頃の常套手段だったけれど、せめてヤマハの純正パーツを使って欲しいよ。この辺を手直しすれば、ぐっと雰囲気が出てくるというものなんだけれど・・・

 マルボロカラーがいまいち趣味が良くないと思ったけれど・・・そもそもメーカーのカタログからしてマルボロカラーでした!2ストレーサーとは無縁のカスタムメーカーに、こういった幼稚なレプリカ趣味をやらせてしまうほど、1983年のケニー&YZRのイメージは、ホントに強烈でした。

 モトマーチンのフレームは、その荒々しさが最大の取り柄・・・率直に言うと、2流どころなんだな。見よう見まねで造った感が漂う、現代の目では見ただけでダメなところを指摘できるレベルではある。当時の試乗インプレからして、『特別なカスタムバイクであることが存在の第一義であり、走行性能云々は二の次』といった歯に物が挟まったような表現がされていたわけでして・・・

 そういった粗っぽさ・・・否、荒っぽさを好む層には、やはりカワサキかスズキのエンジンじゃないと・・・と思う次第。ヤマハではアピールが弱いんじゃないかな。

 下の後年式のフレームは、モトマーチンの最盛期の作で、脂がのりきっている感じ。工作レベルも、フレーム構造のロジックも良い印象。カワサキのエンジンが良く似合う(笑)

 とはいえ、このフレームのデザインは、ハリスのマグナムシリーズから少なくない”影響”を受けているのではないかという疑惑を持たざるをえません。初期のマーチンはエグリフレームのコピーだった件もあるし・・・本場ヨーロッパでは、ハリスとモトマーチンの類似性に関して、どういう評価がなされているのかは興味ありますね。

1973 Harris Magnum 1 / 198? Harris Mmagnum 4

 CBXの6気筒を積むMAXが、そのド迫力で、モトマーチンの名を有名にしました。

 ベネリの6気筒を積んだ人もいました。

 直4イメージの強いモトマーチンですが、ドゥカティのエンジン用フレームも存在しました。

 ボルドール24時間耐久レースを走ったというモトマーチンフレームのべベル。極めてレア。

 モトマーチンとしては珍しいアルミ角パイプフレームで組まれたパンタ用フレーム。カッコいいかは別にして、レアではあります。

 BMWの縦置き4気筒用フレーム。これはモトマーチンらしくない(笑)シュアな完成度。

 というのも、元ネタは、コバスフレーム(下)だからでしょうか(笑)

 ホンダV4も積めます。

 上のパンタ用でもありましたが、時流に乗るため、フレーム素材にアルミを採用したこともあります。

 これなんかはスズキのGSXRの純正フレームまんまで、ひねりがありません。この辺りがモトマーチンのフレームビルダーとして限界だったのでしょうか。

 アルミツインスパーの登場によって、飛躍的に性能が上がった純正フレームを目の当たりにし、自身の存在理由を失ったとして、ジョルジュ・マルタン氏は、モーターサイクル用フレーム製作からは足を洗い、現在はロータスセブンのキットカーを造っているようです。(スーパーセブンとしては微妙な出来ですが、本家に似させるだけがすべてではない、とここでは弁護しておきましょう)


XS1100 Chain Conversion

 モトマーチンを見ていたら、XS1100のチェーンコンバーションについて調べたくなりました。

 最初は、モトマーチン製のキット。正直、どういうレベルの出来のものか、見るまで疑心暗鬼なところがありましたが、しっかりとしたつくりで一安心。自分のところで造っているようで、鋳造パーツにMARTINの文字のレリーフが見られます。(フロントスプロケとフレームの間あたり)

 次に、とてつもなく出来の良いやつ。(おそらく最近の作でしょう。それにしても、今更XSのチェーンコンバーションキットなんて需要があるのでしょうか?)

 XSではミドルギアユニットがそのまますっぽり取り外すことができます。(メーカー自身がチェーン駆動への流用を想定していた?そういう車種は出ませんでしたが・・・)この構造のおかげで、XSのチェーンコンバージョンキットの製作および取り付けは非常に容易になっています。

 ちなみに、同時期のスズキでは、チェーン駆動のGS1000E、シャフト駆動のGS1000Gと2系統ありましたが、クランクケースがそれぞれのつくりに応じて造り分けられていました。すなわち、Gのシャフト駆動を、Eの純正パーツを流用してチェーン駆動に変更することは、簡単にはできませんでした。

 まるでメーカー純正パーツかのようにボルトオン。

 次に、70年代テイストというか、ヨーロピアンDIYカスタムにありがちというか、かなり粗っぽい出来のもの。(モトマーチンのキットの出来がこのレベルだったら、どうしよう・・・なんて失礼ながら思っていました)

 薄っぺらい鉄板を切り出しただけのサポート・プレートと粗雑なボルトの組み合わせにめまいが・・・

 純正のケースをぶった切って、Fスプロケットのためのスペースを確保しています。アウトプットシャフトを新規に製造する技術力がありながら、この辺の処理への詰めの甘さが酷くアンバランスに感じられます。

 以下は、鋳造パーツ(=量産前提?)が奢られている当時モノ。完成度の高さから、当時の耐久レーサーに使われたメーカー系パーツでしょうか?

 上の当時モノのレイアウトを現代の設計でつくったもの。

 こんなスタイリッシュなパーツが付いているだけで、XSのエンジンがカッコよく見てくるから不思議!


 パーツリストを見ると、XSのドライブシャフトの構造が良く分かります。

 手前からメイン(インプット)シャフト、その横がカウンターシャフト、この2本のシャフトに5速のギアがつきます。

 AとBのギアがキモで、普通のチェーンドライブのミッションにはないものです。Aのギアはカウンターシャフトの回転をBのギアに(等速に)伝えるためだけにあります。

 Bのギアに伝えられた回転は、アウトプットシャフトCに伝えられます。

 アウトプットシャフトCの回転は、DとEのベベル(ヘリカル)ギアで90度曲げられ、後輪に回すのに使われます。

 DとEのベベルギアの実物(右)と構造図(左)

 さて上の図で何を言いたいかというと、この構造の場合、ミッションだけで3軸、クランクも加えると4軸となるということです。チェーン駆動の場合、通常、カウンターシャフトにフロントスプロケットがダイレクトマウントされ、そのままアウトプットシャフトと機能するので、ミッションだけで2軸、クランクを加えても3軸で納まります。

 下図はドカのエンジンを例としてあげますが、A=D:クランクシャフト、B=I:インプットシャフト、J:アウトプットシャフトが件の3軸となります。

 つまり、XSのシャフトドライブ機構では、ミドルギアの一軸分増えるため、エンジンは横に長くならざるをえず、さらには、ミドルギアには、結構なスペースを取るドライブシャフトのユニバーサルジョイント部が装着されるため、スイングアームのピボットシャフトはチェーン駆動用のそれと比べ、かなり後ろに位置するわけです。(=フレームはコンパクトでなくなるし、ホイールベースを特定の値に収める場合、スイングアームも短くせざるをえなくなります)

 関係あるのかないのか、お手本としたBMW(後述します)は3軸です。

 ただBMWの場合、縦置きクランクなので、X軸がクランク軸と同一になるため、ミッションで3軸あっても、クランク軸の数を含めた場合でも、変わらず3軸となります。(Y軸がアウトプットシャフト)

 横置きクランクでBMWはどうやっているかは、以下の通り。図はK1600ですが、クランク軸と合わせて4軸になるけれども、アウトプットシャフトをミッションの後ろ側ではなく、下側に置くことでエンジン長さを抑えています。

 ちなみにBMWの横置きエンジンは今のところ、K1600、K1300、S1000RR の3種あり、6気筒K1600と4気筒K1300がシャフト駆動で、その設計は社外のリカルド社に完全に委託しています。意外にも、今までのBMWエンジンとは全く毛色が違うチェーン駆動のS1000RRは自社設計となっています。

 しかし、この4軸目のシャフトって必然性あるの?シャフトドライブのミドルギアと言ったって、チェーン駆動と同じく、直接カウンターシャフトから取り出せばいいんじゃないの?という疑問は当然、生まれます(少なくとも私には)。

 そこでXSより後に設計されたヤマハのシャフトドライブ車ではどうなっているかを調べてみました。

Vmax Chain Conversion

 大型ツアラー、ベンチャーロイヤルのエンジンが流用されたドラッグスター、Vmaxという良い例がありました。

 見事、ミッションは2軸構成となっています。最初からなぜこのレイアウトを選択しなかったのか?XSはお手本のBMWの構造に引きずられたのでしょうか?

 ちなみに、Vmaxも、好きモノがチェーン駆動にコンバージョンしています。XSと同巧で、もはや定石的手法といってよいものですね。

MV Agusta Chain Conversion

 オマケでMV AGUSTAの市販4気筒用チェーンコンバージョンキットも紹介しておきましょう。

 MVが1966年、待望の4気筒モデルを市販するにあたり(正確には、1965年にプロトタイプ、1966年に市販バージョンが発表され、1967年に実際の販売にうつされた)、肝心のエンジンこそGPレーサーと同等のメカニズムを有していたものの、その鈍重な車体デザイン、排気量はGPレーサーの500ccとは異なる600ccであること、億弱なフレーム(ビモータは高価で少量生産のMV600のためにフレームを用意した!)、そしてファイナルがシャフトドライブ駆動という点で、市場に大きな肩すかしをくらわしたのでした。

1966 – 1971 MV agusta 600Four

 これは傲慢、独善で有名だったMVの総帥、ドメニコ・アグスタ伯の『部外者が、市販MVの改造車ごときで、MVの名を使ってレースに出てくれるな』という暗黙のメッセージと巷には受け取られてきました。

 1969年に市販に移されたCB750にどれほどの影響があったのか、MVは1969年に排気量を750ccまで拡大し、レーシーなルックスを与えた750Sportをショーで発表し、1970年から市場に出回りますが、億弱なフレーム、ファイナル・ドライブシャフト駆動は、600のものがそのまま使われました。

1970 – 1974 MV Agusta 750Sport

 MVのチーフメカニックだった Arturo Magni は、MVのGPチーム解散後の1977年より、カスタムビルダーの立ち位置でMV 750s用スペシャルパーツを世に出していきます。それらは、キャストホイール(EPMブランド)、より強固なフレーム、チェーンコンバージョンキット、特徴的なカーブド・マフラー、そしてボアアップ用ピストン&シリンダーなどMVユーザーが待ち望んでいたものばかりでありました。

 MVのミッション&シャフトドライブ機構一式。GPマシン譲りのカセット式。画像はエンジン下から見た景色になります。シャフトドライブのミドルギアはケース内に収まっています。

 マーニ製チェーンコンバージョンキット(通称マーニ・キット)。
 MVの場合、むしろ、もともとチェーン駆動だったものをシャフト駆動にしたという経緯があるためか、チェーンドライブ化は、まさに『元に戻す』的な簡便さがあります。また、MVのミドルギアは、意外にも丈夫なファイア・エンジンの中で唯一といっていいアキレス腱で、レースのような激しいライディングでは高い確率で壊れたため、チェーン化はその不安要素を排除できるという一石二鳥な利点もありました。

 Fスプロケット の下に見えるプーリーは、ダイナモ(オルタネータで非ず)とセルスターター駆動用のものです。プーリーが回す2本のベルトが、エンジン下に設置されたダイナモとセルモーターを動かします。MV4気筒は、基本設計がレーシングエンジンゆえ、ストリート走行に必要な発電装置や始動装置は、後から付け足さざるをえず、なんとかこの位置に動力用軸を取り出すことができた、という次第。


 XS1100のチェーンコンバージョンキットについてあれこれ述べていたら、俄然、XS1100本体についてもまとめておきたくなりましたね。

1978 YAMAHA XS1100

 ヤマハ初のリッターバイクXS1100の開発の基礎は、XS1100より2年ほど早い1976年に市場デビューを果たしたXS750(日本ではGX750)にあることは間違いないでしょう。

 XS750の、4ストローク・DOHCというのは先行のZに対抗するための当然の選択だとしても、並列3気筒とシャフトドライブ駆動というのは、どういう選択ゆえだったのでしょうか?

 答はヤマハのHPにありました。

『TX650ベースの900cc・2気筒を叩き台としながら検討を重ね、排気量は750ccと決まった。では次に、レイアウトをどうすべきか。問題はそこからだった。本社エンジン開発スタッフは他社モデルと真っ向勝負の4気筒、アメリカの商品企画担当者は他社にない3気筒エンジンを主張して譲らない。さんざん議論を尽くしたすえ、担当役員の判断も加味して、ようやく3気筒とすることで決着した』

『GX750のもうひとつの特徴であるシャフトドライブは、高速・長距離ツーリングを楽しむライダーが多いヨーロッパからの要請に応えて採用した』

 まあ、ありがちな話ですが・・・その後に見逃せない情報が!

『しかしこれ(=シャフトドライブ)も、横置きエンジンとの組み合わせは前例が少なく、当初はベベルギアユニットを実績のある西ドイツのメーカーからアッセンブリーで購入。その後、数多くの改良と熟成を重ねて自社開発製品に移行したが、その過程で得た技術やノウハウは大きな財産となり、その後のVMAXやドラッグスターシリーズにしっかりと受け継がれた』

 ヤマハのシャフトドライブはBMWにお手本があったのです!!

 以下の表は、XS750以降のヤマハ大排気量エンジンのボア、ストロークをまとめたものです。

Year Model Bore (mm) Stroke (mm) Displacement (cc)
1976 XS750 68 68.6 747.7cc
—- XS1000 68 68.6 996.0cc
1978 XS1100 71.5 68.6 (68.66) 1,101 (1,102)cc
1980 XS850 71.5 68.6 825.8cc
1984 FJ1100 74.0 63.8 1,097cc
1986 FJ1200 77.0 63.8 1,188cc

 XS1100は当初、1000ccで開発されていましたが、その開発終盤になって急遽、営業上の理由で排気量を拡大するように命が下ったという経緯があります。表には実際には世に出なかったXS1000(仮称)を載せてあります。ボア&ストロークは推定値ですが、おそらく正しいでしょう。

 1000ccエンジンのボアは750と同じ68mmだったことは、XS1100の後に出たXS850は、1100と同じボア&ストロークを持つことからも明らかと思われます。(ちなみに4バルブ化されたFJ系列とは、ボア&ストローク値の関連性はありません)

 3気筒と4気筒エンジンは同じボア・ストロークを持ち、さらにミドルギアから後ろの駆動系は同じパーツが使われています。これらはエンジン設計をモジュラー化するという意図に基づくものでしょう。(上でミドルギアユニットが、丸ごとクランクケースから外れることに、その理由をいぶかしがりましたが、それは、750と1100どちらにでも使えるようにという設計上の配慮=モジュラー化、の現れだったのでしょう)

 これらのことから、似ていないようでよく似ている750と1100の2車は、同時進行かつリソースを共有しての開発であったと推測されます。

 さて長い前置きになりましたが、これがXS1100のご尊顔です。

 XS1100(XS11あるいはXS Elevenの名称も使われる)は、コンチネンタルハンドルとオイルクーラーを持つヨーロッパ仕様と、アップハンドルとより小さなタンクを持つUS仕様が用意され、1978年から1981年までの4年間生産されました。

 XSの外装は定評のあるGKデザインの作であることは確かなのですが、とにかく地味。実用車と見まごうほど。BMW的なアダルトなテイストを演出する意向だったのかもしれませんが、成功しているとは言い難い。(同じ1978年には流麗なCBFがデビューしている)

 フランスヤマハでは、多少は目立つ赤いのを派手にウイリーさせたりして広告を打つも・・・Ugly duckling(醜いあひるの子)のあだ名を拝命。

 それゆえか、デザイン面でのテコ入れは早くも為され、US市場では1979年、ハーレーダビッドソン・ローライダー(1977年)が拓いたファクトリー・カスタムというトレンドを追い、プルバックハンドル、段付きシート、小径ワイドなリアホイール、ティアドロップタンク、より寝かせたキャスター角の専用フレームを持つ XSイレブン・スペシャルをデビューさせます。

 XSイレブン・スペシャルの中でも、そのカラーバリエーションモデルで、ブラック&ゴールドで統一されたミッドナイトスシャルが、日本ではタミヤの1/6スケールモデルでフューチャーされたこともあって、有名です。

 同じ1979年、ヨーロッパ市場では、XSイレブン・スペシャルをベースにした 1.1 Sport とノーマルXSをベースにしたマルティニ・モデル(後述)が出ました。

 最終生産年である1981年、大型フェアリングとパニアケースを装着したツアラーバージョン、XS1100 Venturerがバリエーションに加えられ、その生涯を終えます。(CBXやKZ1300もそうであったように、70年代後半の中途半端なスポーツモデルはツアラーに仕立て直して延命させられるパターンが多かった)

 このモデルは1983年デビューのV4エンジンの大型ツアラー、Venturer Royalにその遺伝子を伝えます。

1979 YAMAHA XS1100 Martini

 1978年、マン島 TT レースにマイク・ヘイルウッドが、ヤマハの援助を受け、チーム・マルティニ・ヘイルウッドから TZ250/500/750 で参戦しました。(同じ年、SMCチームから参戦したDUCATIでの優勝があまりに有名になったため、ヤマハも乗っていたことはあまり知られていないのでは?)

 XS1100 マルティニは、ヘイルウッドの復活を祝して、ヨーロッパヤマハ(オランダ・アムステルダム)主導で、1979年に限定500台が生産された”公式”モデルです。このモデルの存在、日本では全く知られていないといってよいのではないでしょうか!

 『生まれつき優秀』
 同じ時期にマルティニがスポンサードしていたポルシェ936が広告に引っ張り出されているのは、驚きです。

 その独特のカウル・デザインは、John Mockettによるもの。彼は他に、ヘスケスV1000やそのカウルバージョン、バンパイアをデザインしています。

1982 Hesketh Vampire

 XS1100マルティニはフランスの有名なバイクマンガ『Joe Bar Team』でも取り上げられています。


1979 YAMAHA XS1100 Turbo engine

 XS1100のエンジンでターボが開発されているという記事。

 実際はXJ650でターボは市販されました。(1982年)

 社外でもターボ化したモノ好きもおりました。

 こちらはスーパーチャージャー。


Racing XS1100

 XS1100のレーサーにはシャフトドライブのままとチェーン化されたものがあります

1978 カストロール6時間

 XS1100のデビュー年である1978年、カストロール6時間耐久に、Roger Heyes と Jim Budd (ピットマンズ・チーム#3)のライディングで優勝。(XS1100はその後数年間、同レースの有力なコンテンダーとして活躍します)

 シャフトドライブのみならずマフラーなどノーマル然としていますが、それもそのはず、カストロール6時間のレギュレーションでは、マシンはエンジン、フレーム、サスペンション、外装・・・ミラーといった保安部品、ライトやウインカーといった灯火類以外のあらゆるパーツが(サスペンションスプリングまでもが!)市販車そのままであることが要求されたからです。

 なお、カストロール耐久6時間は、オーストラリアのアマルー・パークで行われていた(のちにオランパークに移転)ローカルレースですが、地元オーストラリア出身の有名レーサーが参加したり、伝説的なCB1100Rが車両開発の場としたりと、それなりに注目されていたレースです。(世界選手権となる前の鈴鹿耐久みたいな感じでしょうか)

1978年、グレーム・クロスビーのCBX1000

1978年、ヘイルウッドの750SSとウエス・クーリーのGS1000

1980年はCB1100Rが車両開発の一環として大挙して参戦。ロン・ハスラムがカメラマンを務めた。

1979 鈴鹿8時間

 手元の資料に見る限り、XS1100は、鈴鹿8時間耐久レースにおいては、1979年に2台のみ参戦しています。

 一台は、ヤマハ社内チームである磐田レーシングファミリーから、和歌利宏・阿部三吉選手(#14)のライディング、予選26位・決勝32位(155ラップ)で完走。もう一台は、78年にXS(GX)750で8耐に参戦した月木レーシング(月木博康・榎本勤選手)から(#16)。予選40位、決勝119ラップでリタイア。

 #14号車は、TT-F1のレギュレーションの上限排気量1000ccに収まるようにボアダウンされたとのことです。(上記で示したようにXS750用のφ68ピストンを使うと996ccとなるのですが、モノの本には鈴鹿仕様は998ccとあり、微妙に値が異なります。998ccとなるようボアサイズを逆算すると、φ68.06~07あたりとなります。おそらくXS750の補修用オーバーサイズピストンを使ったのではないかと思われます)

 キャブレターが特殊といえば特殊で、4輪用としてはポピュラーな40mm口径、ツインチョークのミクニ・ソレックスが、2基、採用されています。(これは後にも出てきますが、本社チューンの特徴となります)

 ファイナルはシャフト・ドライブのまま。

xs11suzuka_02

1980 ボルドール24時間

 Claude Fior 設計の独特なフロントサスペンション&フレームを持つ耐久レーサーに目を付けたフランスのヤマハ代理店ソノートとヨーロッパヤマハ(アムステルダム)は、フィオールと協力関係を結びます。使用エンジンをそれまでのホンダRS1000からヤマハXS1100にスイッチさせて、1980年のボルドール24時間で走らせました。

 エンジンは本社チューンということで、ツインプラグ化、チェーンドライブ化がなされ、130馬力を発するとあります。上の鈴鹿仕様と同じくミクニ・ソレックスが採用されています。

1982 南アフリカF1選手権

 チェーン駆動化され、Rod Gray のライデイングによって1982年の南アフリカF1選手権に優勝した車両を現在のホビーレースで走らせるためにレストア&アップデートされた車両。当時の活躍を記した口上がその下。


 ドラッグレースでもXS1100エンジンは使用されていました。