辣腕実業家であり、モーターサイクル・エンスージアストでもあったクラウディオとジャンフランコのカスティリオーニ兄弟が、1978年、航空機メーカーを出自とする名門アエルマッキを、当時のオーナーであったハーレー・ダビッドソンから買収し(そのHD自体もボーリング場のシステムで有名なAMFの支配下でありましたが)、そのバレーゼの工場を本体として、オートバイ製造に参入してきたのが、カジバの始まりです。
85年、破産寸前で政府管理下にあったドゥカティ、86年、スウェーデンのハスクバーナ、87年には、60年代に数少ない非日本勢としてグランプリでホンダと死闘を繰り広げた歴史を持つモト・モリーニを買収し、あっという間に一大モーターサイクル帝国を築きあげたのです。
さらに91年に、自身がその目標としたであろうMVアグスタのブランド使用権を獲得したときは、カスティリオーニ兄弟がどれほど感慨深い思いをしたかは、他人ながら慮れます。(彼らは、90年代後半の度重なる資金難の中、ドカをアメリカの投資グループ、TPGに売却してしまうと、1999年、ついに、残ったブランドをまとめる自身の会社の名称をカジバからMVアグスタ・モーターに変更してしまいました・・・)
さて、そんなカジバがコントロールしたブランドの中で意外に知られていないものがひとつあります。
上の画像は、1990年のカジバのGP500レーサーです。シートカウルに書かれた『MOKE』(モーク)という文字に見覚えはありませんか?そう、このモークが今回の主題なのです。
自動車好きなら、モークと聞けば、ああ、あのミニのパーツを使ったレジャービークルね、とピンとくるでしょうが、知らない人のためにごく簡単にご説明しましょう。(モークについては、「きちんと」説明しようとすれば、それだけで一冊の本となってしまうほどいろいろとネタが詰まったクルマです)
モークとは英国のスラングでロバの意味で、ミニ(1959年)の設計者として有名なアレック・イシゴニスによる設計です。それゆえ、エンジン、足回りなどミニのコンポーネントがふんだんに流用されています。
当初は軍用車として計画されました。空挺部隊において、落下傘とともに降下し、着陸後、人員と武器を載せて運ぶ、といった特殊な用途を想定していたようで、あのボディ形状も狭い航空輸送機の荷室に積み重ねておくことができるように意図されたものとのことです。
結局、英軍の正式採用は無かったのですが、(最低車高長の低さ、タイヤ径の小ささゆえ、オフロード走破性に難があったため、といわれています)そのままお蔵入りにならず、民間向けのレジャービークルとして生産されることになりました。(1964年)
英国での生産は1968年で終わりますが、オーストラリア(1966年~82年)やポルトガル(1984年~93年)など、英国外でのノックダウン生産は続けられました。そのポルトガルのモーク工場を、1990年、カジバが買収したのです。
生産は93年まで順調に続きましたが、95年初頭、急遽、生産拠点をイタリアに移すことが決められ、生産ラインなどの設備がボローニャ(ドカの工場?)に移されたのですが、それっきり、再び生産が始まることはありませんでした。(モークの公式な記録では、この事態を指し、1996年に完全に生産は中止されたことになっています。)
画像のモークはチェッカーモータースの手によって、日本に入ってきたカジバ・モークです。(ミニ同様、オリジナルの形状が残され続けていることがわかります。)
当時、由良卓也氏の手によってボディがリデザインされたレース専用モデル、Mスポーツによるワンメイクレースなんかも開催され、それなりに盛り上がっていたようです。
【オマケ】
BMWによるニュー・ミニは2010年モデルとして、モークの名前を復活させるようです。さすがにドアまで無い、オープンモデルではありませんが。
ホンダのバモス(1970年)は、モークの影響を受けていると思えませんか?ベースは軽トラックのTN360なのですが、兄弟車であるN360は和製ミニ(・・・悪く言えば、ミニのコンセプトのパクリ)なんていわれていましたから、やはり縁が無いとは思えません。