前回、初バイクは自宅にあったランディであることを書きましたが、当然、虎視眈々と「自分のバイク」は狙っておりました。
(ちなみに、ヘルメット「だけ」は、最新の、アライのラパイド、ヨシムラレプリカ。ミーハーだったんですね。バイクブームで全盛期だった上野コーリンで買いました(笑))
高校生でしたから、金銭的な制約は当然ありましたし、まだバイクに対する謙虚さも残っていたのでしょう・・・身の丈にあったところで、当時出たばかりのYSRが欲しい、キタコのチャンバーと片目耐久カウルを装着してブイブイ言わせたい、と思っておりました。
1986 YAMAHA YSR50/80
しかし、どうしたことでしょう。結局、手に入れたのは免許上限一杯の400cc。ホンダCBR400FのII型、カラーは青白でした。
いまさらCBRのI型はこうで、II型はこうだ、なんて話題はこのブログに必要ないのかもしれません・・・が、あえて書きましょう、長々と!画像もたくさん使ってみましょう!
今は中型クラスって、スクーター以外、どうにもお寒い限りですが、当時は免許制度が一番の理由で、最大の激戦区でした。70年代末からの第2次バイクブームの流れの中における、いわゆるレーサーレプリカブームが始まった頃です。
レプリカブームは、ヤマハRZ250のデビュー(80年)あたりを祖とする意見もありますが、私は2ストは83年のスズキRG250ガンマ、4ストは84年のヤマハFZ400Rを始まりとみています。(ガンマを、通学路途中にあるアパートのバイク置き場で初めて見た時、当時、私は中坊にすぎず、それでもいっぱしのバイク好きのうるさ型を気取っていたものの、国産車とは思わなかったですね。カウルにSUZUKIとあるのを見て驚いたくらいでした。衝撃的だった、といっていいのかもしれません。そういえば、初めてカタナを見たときも同じ思いでしたね)
1980 YAMAHA RZ250
1983 SUZUKI RG250Γ
1984 YAMAHA FZ400R
1981 SUZUKI GSX1100 KATANA
その後、85年のTZR250でレーサーのルックスの忠実なコピーが始まり、バカ売れしたTZRへのホンダのカウンターパンチ、86年にNSRの登場でレプリカ・ムーブメントが過激に加速。
1985-86 YAMAHA TZR250
1986-87 HONDA NSR250
SPレースの成績が一般の車両販売に直結したため、ついに、標準でクロスミッションを装備し、公道走行よりもサーキット走行を前提とした87年のFZR400R SP(EXUPが初めて採用される。89万円という車体価格に度肝を抜かされた)がショッキングに登場し、性能競争のタガを外された以後、毎年のモデルチェンジごとに激しく性能が先鋭化されていくのでした・・・というのが当方の見方ですが、あの時代、個人的にレーサーレプリカブームには背を向けていたため、さほど詳しい方ではありません。ウンチクはこの辺にしておきましょう。
1987 YAMAHA FZR400R SP
さて、話をCBRに戻すと、CBR400Fは、レプリカブーム以前の83年、CBX400Fの空冷4気筒をベースに、+10psを上乗せしたクラス最強の58psのエンジン(翌84年に発売されたスズキGSX400Rの59psがメーカーの自主規制値となります)と、独特なライト周りのデザインで、それなりに注目されてデビューしました。
1981 HONDA CBX400F
1983 HONDA CBR400F
1984 SUZUKI GSX400R
CBR-Fのデザインは、後のヤマハのFZ400N、カワサキのFX400Rなどに影響を与えた、といえましょう。
1985 YAMAHA FZ400N
1985 Kawasaki FX400R
一番の特徴は、ロッカーアームを細工することで、8,500rpmまでは2つのバルブだけを動かし、それ以上では4つのバルブすべてを動かすという
機構ですか。今となっては
ですが、当時、58psまでチューンしちゃったために、細くなった低速トルクを補強すべきと大真面目に考えた末、実現した機構なんでしょう。たしかに8,500rpmを超えるとエンジン音は豹変しましたよ!(12,300rpmで最高出力)
概要図を見ると、8,500rpmでオイルラインが開放され、その油圧でスライドピンを押し出すことで、もう一本のロッカーアームの作動を有効にするという機構なんですね!初めて知りました(笑)
ホイールは、ワークスレーサーNS500で採用されていたNSコムスター(フロント16インチ、リア18インチはNS500と同じ!)、
1982 HONDA NS500
フレームは角断面でしたが、まだスチールでした。(この辺の奥ゆかしさが今となっては好ましい・・・かな?)
翌84年に、ハーフフェアリング仕様の「エンデュランス」が、おって限定でフルフェアリング仕様も発売されます。(これは同じ84年、先に発売され、そのレーシーなスタイルで人気を博したヤマハFZ400R(ハーフフェアリングを装備)を意識したものでしょう。)
1984 HONDA CBR400F Endurance
1984 HONDA CBR400F F-3
ここまでがI型です。
85年のマイナーチェンジでII型となります。具体的には、お約束のグラフィックの変更、スイングアームのアルミ化、ステンレス製4into1マフラーおよびダイマグ風のキャストホイールの装備が行われます。(これにより2kgの軽量化が果たされた、としています。ノンカウルで乾燥176kgとありますが、重く感じたなあ・・・ )
1985 HONDA CBR400F II
さらに同年、派手なトリコカラーとシングルシートを持った「フォーミュラ3」も追加されます。フレームが白く塗られ、ずいぶんとスペシャルな感じがしたものです。細かいところでは、当時、ホンダが上級車に多用したジュラルミン鍛造製ハンドル、ステップもフォーミュラ3のみ採用されています。(この演出は中型小僧には極めて分かりにくかったですね。)
1985 HONDA CBR400F FORMULA-3
II型の価格は、ノンカウルが539,000円、ハーフカウルが598,000円、フォーミュラ3は615,000円の設定でした。ノンカウルは安くて美味いバイクだったいえましょうが、水冷でより高いパフォーマンスを誇ったGSX-R400が62,9000円、FZ400Rが59,8000円でしたので、よっぽどのホンダ党のみフォーミュラ3を選んだ、というのが実情ではないでしょうか。
さてここで余談ついでに、CBR購入にあたり競合はなかったのか?ということについてお話させていただきましょう。
ズバリ、当時出たばかりの同じホンダのCBR250Four、がそれなんです。過激レプリカ路線以前の、『4スト250=初心者、女性向け』という期待される線を大きく外すことのない、ぬる目の味付けを思わせるバイクでした。(当時としては極太のアルミフレーム、スイングアームの割にはリアのドラムブレーキが気になりましたね~)
が、エンジンの方は、レーサー譲りのテクノロジー、カムギアトレインを採用し(市販車初だったかな?)、最高出力は14,500rpmも回って45馬力をひねり出すという、その後の4ストクオーター・エンジン回転競争の端緒となった1台でありました。(回すだけなら16,000rpmでも17,000rpmでも何でもござれ、という世界でしたね。最終的には19,000rpmあたりまで行ったんじゃあなかったかな・・・回さないと、自転車に乗ったかと錯覚するほどのトルクの細さでしたが)
ちなみにお値段は250のくせして、549,000円とCBR400Fと比べ、1万円高くありました。(CBR400Fのコストパフォーマンスは素晴らしかった!)
CBR250Fourを出した以上、言及しておかなければならないバイクがあります。ホンダがCBR250Fourを出すに当たって強く意識したであろうバイク、ヤマハのFZ250フェザーです。45ps/14,500rpmの最高馬力はCBRと同じ。超高回転4ストクオーター開発競争はここから始まりました。
フェザーはエンジンパフォーマンスと裏腹に、きわめて小柄な車体が女性受けしてベストセラーとなったわけですが、ホンダが2匹目のドジョウを狙ったことは間違いなく、CBRのぬるさ、特にリアドラムブレーキだったのは、フェザーがリアドラムであったことと無関係とは思えません。(後に両車とも、リアディスクブレーキに変更されますが)
1986 HONDA CBR250Four
1985 YAMAHA FZ250 FHAZER
CBR400Fは、86年7月、待望の水冷エンジンを持つCBR400Rに道を譲ります。私自身は高校卒業後、自身の浪人が決まるとバイクを手放すことにしたのでした。
1986 HONDA CBR400R Hurricane
総括すると・・・まあ、無理に400ccに乗っても良いことありませんでしたね。ガソリン代すら事欠く有様でしたので、ランニングコストは重圧でした・・・が、それよりも、ライディングのイロハも知らないうちにパワーのあるバイクに乗ってしまうと、そうそう上達は望めない、ということが最大の問題。今になって思うと、ただ(おっかなびっくり)、バイクを転がしていただけに過ぎませんでしたから。