[ 2 ] OHIV・2バルブ
サイドバルブの致命的な欠点が燃焼室の広さで、その原因がバルブの配置であれば・・・バルブの位置を変えてみよう、さてどこに移すか・・・そんなにたくさんの選択肢があるわけではなく、ピストンの上にもって来よう、という発想になるのは極めて自然といえましょう。
SV(サイドバルブ)ではクランクのそばで動くカムが直接バルブを動かしていたのですが、バルブはピストン上に移ってしまったので、長い棒(プッシュロッド)を介して遠隔操作することにしよう・・・これがよく知られたOHV(Over Head Valve)です。
今回、あえて話題にしたいのは、SVからOHVに移行する中に存在した、IN側バルブのみヘッドの上部に持ち上げて、EX側バルブはサイドバルブのままというバルブ機構です。
OHIV (Over Head Inlet Valve)あるいはIOE (Inlet Over Exhaust)と呼ばれます。アメリカ人は、Fヘッドとも呼びますが、現代に生きるたいていの人はなんのことだか分からないでしょうね。
なぜFヘッドと呼ばれるのか・・・まず、SVエンジンはシリンダー+燃焼室の形状が、横から見ると逆L字型をしているのでLヘッド(あるいはLブロック)呼ばれています。OHIVエンジンは、SVの逆L字形状の上に、インレットバルブ分の逆L字がさらにもう一つが重なった形状、すなわちF字型をしているのでFヘッドと呼ぶとのことです。
画像のヘッドをご覧ください。これは並列4気筒エンジンです。OHIVですから、画像に写っている4つのバルブはすべてIN側バルブ (小さな穴はプラグホール)です。
残りの4つのEX側バルブはシリンダ側にあるのです。(OHIVを知らない人だと、変わった形の燃焼室を持った並列2気筒のヘッドと誤解してしまうかもしれません。)
OHIVは決して特殊な機構だったのではなく、いろいろなメーカーの、特に黎明期のアメリカ製オートバイの量産エンジンに好んで採用された経緯を持ちます。しかし、所詮、過渡期の仕様に過ぎず、現在では完全に姿を消しています。
HARLEY DAVIDSON “F-HEAD” Engine (1917)
最初のハーレー(1903年)は、OHIVで登場し、以来30年間、OHIV(Fヘッド)のエンジンばかりを造り続けていたのですが、なぜか次世代エンジンにはSV(フラットヘッド)が採用され,、OHIV方式は淘汰されました。これは退化なのでしょうか?まもなくOHV(ナックルヘッド)を持つエンジンが登場するのですが、それでもフラットヘッドエンジンは消滅することなく、驚くべきことに1974年まで生産されることになります。
画像を見ると、インレット側のプッシュロッド、マニホールドのレイアウト、エキゾーストパイプのシリンダーからの出方などOHIVエンジンの特徴がよくわかると思います。
FN Type A Engine (1905)
この363cc4気筒はベルギーのFNによるものです。左はじのキャブレターからデリバリされるマニホールドの形状からOHIVであることが明らかです。
なお、FNは英国のBSAなどと同じく銃器メーカーとして設立され、のちにオートバイ製造にも手を染めるようになりました。会社は1901年から1967年まで存続し(銃器メーカーの方は現存しています)、世界で初めて4気筒エンジンを積んだオートバイを生産したメーカーとして歴史に名を残しています。
SV vs OHIVSVとOHIVの興味深い比較があります。 画像のジープは戦後の民生型で、左がCJ-3A (1949 – 1953)、右がCJ-3B (1953 – 1968)と呼ばれるものです。CJ-3AのエンジンはSVでしたが、それにOHIVヘッドを換装したエンジンを持つのがCJ-3Bです。CJ-3Bは、OHIVゆえエンジン全高が上がったため、それを覆うボンネットも高くなっているのが分かります。(それに対し、わざわざ”high-hood”と愛称をつけてたりしてします) さて何が興味深いかというと・・・CJ-3Aのエンジン(L-134・通称ゴー・デビル)とCJ-3Bのエンジン(F-134・通称ハリケーン)、両者のボア、ストロークとも同一で、ゴーデビルのSVをOHIV化したものがハリケーンエンジン、つまり、両者のスペックを比較することで、SVからOHIVに変更した場合、どれだけ効率が上がるかが分かるわけです。
いかがでしょうか?ちなみに、CJ-3A、CJ-3Bとも、当時、ウイリス社のライセンスを持っていた三菱によって、車体もエンジンも国産化されています。つまり、日本製・量産OHIVエンジンが存在していた、ということです。 |
Rover’s sophisticated OHIV最近、消滅した英国のローバーは1948年から1980年代半ばまで、30年以上もの間、OHIVエンジン(2.6リッター直列6気筒)を作り続けたメーカーです。(そんなんだから消滅したともいえる?) ただし、ローバーのOHIVはかなり洗練されたものでした。
それぞれのバルブは、より効率的な燃焼室形状となるよう傾斜をつけて配置されており、それに併せてピストン頂部の形状も変化がつけられています。これらから形成される燃焼室は逆半球形状(inverted hemi-head)と呼ばれています。(後述しますが、半球というのは理想的とされる燃焼室形状のひとつなのです)
ここまでできてなぜOHIVなの?と言いたくなるようなレベルの出来で、ロールスロイスの傑作航空機エンジン、マーリンを生んだ英国の、戦後間もない頃でまだまだ世界の自動車設計・生産技術をリードしていた英国の、発想力の高さ、それを形にできる技術力の高さを垣間見れる造りとなっています。 |
Exhaust Over Inlet by Indianハーレー同様、アメリカの黎明期オートバイメーカーの例に漏れず、インディアンも初期モデルから IOE (OHIV) を採用し続けていました。
1928年から登場したインディアンの特徴的な並列4気筒エンジンも、1936年および1937年を除いて、すべて IOE が採用されています。さて、それでは1936年、37年モデルのみ、どういったバルブレイアウトが採用されていたのでしょうか? それは EOI と呼ばれるものです。EOI (Exhaust Over Inlet)は文字通り IOE の逆のレイアウトを意味します。実際、どうなっているのかは画像を見るのが手っ取り早いでしょう。
EOI を採用した理由は、霧化した混合気がエキゾーストの熱にさらされにくくなるためで、パワーアップにつながる、というものでした。実際、IOEからEOIに変更したことで、同じ1265ccの排気量で、30馬力から40馬力と30%以上もパワーアップを果たしています。 しかし、ヘッドが熱くなりすぎ、エキゾーストバルブのリンケージの調整が頻繁となるため、1938年モデルでは元の IOE に戻されました。(実際は右足が熱くてしようがない、というクレームが原因ではないかと・・・IOEでも十分熱いか)
きわめて短期間ではありましたが、EOIというバルブレイアウトが量産エンジンとして実在した、というお話でした。 |
OHIV Conversion Kit for FORD Model A&B1931 Ford Model A フォードの 1928 年から 31 年まで製造された Model A および 1932 年 34 年まで製造された Model B のサイドバルブエンジンのヘッドを OHIV に変更するキットが現在のUSで売られています。 その名も、『Roof 101 Cyclone OHV』 (キット製作者はOHVを主張していますが、正確にはOHIVでしょう) 本体 $4,650、マニフォールド $280、配送手数料 $100 の合計 $5,030のキットの装着で、ノーマルの直4・3.3L・SVエンジンの公称40馬力から、倍以上の94.3 馬力を絞り出すようになる、とあります。
画像を見るだけでも、なかなかの作りの良さがしのばれます。 燃焼室には3本の、ヘッドとシリンダーの合わせ面には2本のグルービングが入っていますが、これらをそれぞれ、”Singh” タービュランスグルーブ、および”FireWire” グルーブと称し、混合気のスキッシュ効果とガスケットの吹き抜け防止効果があるとうたっています。 さらには、恐れ多くも、In fact, “the Roof 101 Cyclone breaths better than many NASCAR racing engines.” (実のところ、ルーフ101サイクロンは多くのナスカーレーシングエンジンよりもすぐれた吸入能力を持つ)と公言しています。
1931 Ford Model A Engine
Converted OHIV engine フォードのモデルTは1908年27までの20年間造り続けられたのに対し、その後継のAは4年、Bは3年しか製造されていません。Tの長命が異例だった言えるのですが、他メーカーとの販売競争が激化した結果、頻繁なモデルチェンジが販売上の戦略として必要になったことの現れに思われます。 この時代のクルマ用カスタムパーツのマスプロ的市場が存在しているところに、USの自動車趣味の成熟をまざまざと見せつけられる思いです。 |