唐突なんですが、「燃焼室形状とバルブレイアウト」をテーマにうんちくをひとくさりしてみようかと思います。個人的に好きな話題なもので・・・できるだけ分かり易く、読んでためになる内容となるよう努めるつもりです。

 キーとなる要素は、「燃焼室の形状」、「バルブの駆動方式」、「バルブの数」の3つで、これらは極めて高い相関関係がありますが、これらの相関を一般論としてまとめるにはあまりに複雑なため、以下の実例を通して具体的にご説明していきたいと思います。

[ 1 ] サイドバルブ・2バルブ

 まず最初は、サイドバルブ(SV)です。もっと原始的なバルブ駆動方式で、名前の通り、バルブがシリンダの横にあります。構造上の制約で、バルブの数は吸気、排気それぞれ1つずつの計2個しかありえません。

 バルブがシリンダ側にあるため、シリンダヘッドは、2ストロークと同じ、プラグ穴のあるフタに過ぎません。画像はそのフタが外された状態です。

 原始的、と書いたのは、実用されていたのはいいとこ1950年代までで、現代ではまず使われない方式ゆえです。利点がないわけではないのですが、その利点も欠点を覆い隠せるほどではないため、新しいバルブ駆動方式の普及とともに消滅していったのです。というか、SVの欠点を解決する目的で新しい方式が考え出されたと言った方が適切かもしれません。

 ちなみにSVの利点は、まず構造がシンプルであること。これは生産性の高さ、製造コストの低さ、故障発生率の低さにつながります。またヘッドがただのフタのため、エンジン高を低く抑えることができます。これはエンジンルームのスペース効率の他、運動性に深く関係する車体の重心の低さ、に寄与すると思います。

 一方、その欠点ですが、これはこの後に話していく主軸に関係することになります。一言で言えば、効率が致命的に悪い、のです。すべてはそのバルブの位置に起因することで、バルブ位置から決まる燃焼室の形状が、否応なしに広く長くなるため、またいびつになるため、以下の熱力学的、流体力学的な問題が発生します。

 (1) 異常燃焼が起きるため、圧縮比をある程度以上から上げることが難しい

 (2) 燃焼室の表面積が大きいため、熱損失が大きい

 (3) 点火プラグから燃焼室末端までの距離が長い=火炎伝播にかかる時間が長い(混合気の燃焼速度が遅い)

 (4) 吸排気の流れが悪い

 つまりエンジン性能を突き詰めていくにあたり、限界が早々と現れる、ということです。以後現れる新しいバルブ駆動方式とそれによって形作られる燃焼室は、以下の理想をできるだけ高めていくものとして考案、改良されていきます。

 (1) 高い圧縮比を維持しつつ異常燃焼が起こりにくい形状

 (2) 熱損失が少なくなるよう燃焼室の表面積をなるべく小さくする

 (3) 点火プラグからの火炎伝播距離の短さ(混合気の速い燃焼速度)

 (4) 吸排気の流れの改善、スキッシュ、スワール、タンブル効果が期待できる形状
[注1]スキッシュ

 吸排気バルブの外側の燃焼室とピストントップとの間隔を接触するほどに狭くした範囲(スキッシュエリア)をとると、圧縮の際、シリンダー中央や点火プラグの電極周辺に一気に混合気が寄せられるようになり、燃焼速度を速くすることができます。

[注2]スワール(横渦流)・タンブル(縦渦流)

 吸気ポートを通って燃焼室に流入した混合気は、シリンダー内で旋回流として運動しますが、その流れの向きや大きさをうまく使うことで、燃焼効率の改善につながることが分かっています。流れの向きが、ピストントップ面に対し、並行成分ものをスワール、垂直成分のものがタンブルと区別します。(全体としては、スワール成分とタンブル成分が合成された流れとなります)

GASGAS TXT PRO Side Valve engine

 ここで余談になりますが、なんと21世紀になってから、サイドバルブのエンジンを新設計してきたオートバイ・メーカーがあります。トライアル車の有力メーカー、スペインのGASGASがそれです。

  • 革新的な単気筒4ストローク・350㏄サイドバルブエンジン
  • 水冷
  • 国産電機製バッテリーレス・イグニション&フューエルインジェクション・システム
  • ウエットサンプ

トライアル車においては、高回転に不向きなサイドバルブはネガとはならず、その低重心は重要な車体要素なのでしょう。またサイドバルブの出力特性が、リアタイヤにトライアルに適したトラクションを与える、という副次(主?)的な効用もあるようです。

2012 GASGAS TXT PRO 300

LH:2009 model / RH:2012 model

コンペティションモデルだから当然とはいえますが、2009モデルと2012モデルのエンジンを比べると明確に設計が変わっていることに驚かされます。

他、技術的に、バッテリーレスでインジェクションを装備している点は興味深い点です。

 

サイドバルブのハイコンプ?

 下の画像はウラルM72という旧ソ連製のオートバイのヘッドです。サイドバルブなのでまさにフタそのものですね。(後述しますが、ウラルM72はBMW R71 (1938-1941)のコピーバイクなのです)

 興味深いのは上と下の違いで、圧縮比が異なります。上が 5.5:1、下が 6:1 。圧縮比の差 0.5 分は、プラグホール下側のアルミの盛りの量で調整されているわけです。

 かようにして圧縮比を変える・・・当たり前、といえば当たり前の話なのですが、サイドバルブのエンジンを知らない世代としては、(少なくとも私にとっては、)なんとも、その即物的な対処方法が新鮮に映ったわけでして・・・サイドバルブのエンジンチューニング方法に関しては、独自の世界がありそうで、機会を見つけて調べてみたい次第です。(下の画像の燃焼室内に見られる3つの円状の浮彫は、燃焼室内の混合気に乱流を起こし、燃焼あるいは(および)吸入効率を高めるためのもの、と見受けましたが、果たして・・・)

 以上で本題は終わりまして、以下は本題より長い余談となります。上のウラルM72の基となったBMW R71は、ウラルだけではなく、色々な国でコピーされたという歴史的事実についてお話したいと思います。

1938-1941 BMW R71

 第2次世界大戦は、ドイツ軍がポーランドに侵攻を開始した1939年9月1日から始まったとされています。ドイツ軍は機甲師団の一部としてオートバイ部隊を編成、伝令や斥候任務、士官の移動用に大活躍させました。

 R71はその頃のBMWのラインアップの中で、最新の足回り(前テレスコピック式・後プランジャー式)と最大の排気量(750cc)を持つ民生用モデルでありました。それを軍事用に転用したのでした。(より高性能なOHVヘッドを持つモデルはありましたが、排気量は500ccでした)

1938-41 BMW R71

Sidevalve 750cc Boxer – 22 bhp

オートバイの機動性がもたらす軍事上のパフォーマンスの想像以上の高さに驚いたのが、(のちにその敵国となる)アメリカ合衆国やソ連でした。

1942-1946 Harley-Davidson XA (eXperimental Army)

 アメリカ合衆国軍部は、ハーレー・ダビットソン社とインディアン社にR71を範とした軍用モデルの開発を依頼したのです。

 すでにハーレーには民生用WLを転用したWLAという軍用バイクがありましたが、軍部は、冷却性の優れる対向シリンダーエンジンと耐久性やメンテナンス性の高いシャフトドライブを持つオートバイ(まさしくBMWそのもの!)が必要だと思ったようです。

 その要求に対するハーレーの回答は・・・ハーレーはR71のエンジンと駆動系をまんまコピーしたのでした。(R71はヨーロッパ車なので当然、メトリックの規格で造られていますが、インチの国アメリカで、それはそのまま採用されたのでしょうか?今日、XAのレストアには、R71の完全なコピーであるウラルM72のパーツが流用されることもあるようですから・・・)

 現在の価値観では、コピーと言うと聞こえは悪いですが、戦時下という緊急事態の中においては、独自性にこだわり冒険するよりも、良いものがあるならそれをそのままコピーした方が、たとえそれが敵国のものでも、否、むしろ敵国のものだからこそなお良し、と考えたというのも納得がいきます。

 1942年に完成したXAは1946年までにわずか1000台程度造られ、そのほとんど全数が北アフリカ戦の支援として送られたとのことです。現在、XAはビンテージハーレーの中でもレア中のレアと認められています。

1941-1943 Indian 841

 一方、インディアンも、モデル741を転用した軍用バイクを有していましたが、軍の依頼を受け、R71を範とする対向シリンダー&シャフトドライブを持つバイクの開発を行いました。

 インディアンのアプローチはハーレーとは違うものでした。インディアン製エンジンは、R71と同じ縦置きクランクを有していましたが、そのVツインの挟み角はR71の180度とは異なり、90度となっていました。

 ヘッドのサイドバルブ機構は自社Vツイン・741ともR71とも共通するものでしたが、841のボア x ストローク 73 x 89 mm(排気量737cc)は、自社のサイドバルブVツイン、スポーツスカウトで実績を残している値を採用しています。(R71は 78 x 78 mm (746cc))

 841の生産台数ですが、こちらも少なく、1941年から1943年までの3年間で約1100台とのことです。

 なぜXAも841も、それぞれ1000台程度と言う決して多くはない生産台数で終わったのか・・・それらは失敗作だったというよりも、同時期により素晴らしい競合が登場したためでした。かの有名なウイリス社のジープです。

 1941年から45年までに約30万台以上造られたジープは、サイドカー以上の走破性、機動性をもって連合軍を勝利に導いた影の立役者であったといっても過言ではないでしょう。

1941- IMZ M72

 ナチス・ドイツとソ連の間には独ソ不可侵条約が存在していたとはいえ、いずれドイツとの戦争は予想されていました。ソ連は、同盟国であるアメリカからのオートバイ供給を期待していたのですが、それがいつになっても実現しないことに業をに煮やし、自国での生産に踏み切ったとのことですが、真偽は不明です。

 なんにせよ、アメリカもベンチマークとした BMW R71のコピーを生産することが決まり、中立地帯であるスウェーデンから極秘裏にR71本体(とその図面)がソ連に送られ、全てのパーツをコピーすべく、リバースエンジニアリングが行われました。

 1941年には試作車が完成し、量産が決定されます。生産を担当することになったのは、IMZ(Irbitskiy Mototsikletniy Zavod)社で、モデル名はM72とされました。

 さらにソ連は、大戦後、占領したドイツからオートバイ製造に関する設備、資料、技術の一切を接収することができ、R71の後継車であるR75がIMZのラインアップに含まれるようになります。

 IMZは現在、ウラルモト社として、創業以来から変わらずBMW R71、R75のコピー、およびその独自改良版を造り続け、ヨーロッパ諸国へ輸出もしています。(この辺の権利関係が放置されているのは不思議な感じがしますが、敗戦国ドイツの、ソ連に対する賠償のひとつと捉えられているのでしょう)

M72のエンジン

M72(上)とR71(下)のエンジンカット図

 M72の誕生からン十年後、そのエンジンを使って、市井のモノ好きによって、このようなドラッグレーサーが製作されています。エンジン2丁掛け・・・といっても、ワーゲン同様のフラット4になっただけですが・・・を、スーパーチャージャーで過給。いったい出力はいくらになったんでしょうか?(サイドバルブは低圧縮比なので過給機との相性はいいのかも?)

1957- 長江 CJ750 M1

 長江CJ750は、中国版BMW R71のコピーバイクとして知られていますが、IMZ M72の正式なライセンス製品であります。(コピー品の正式ライセンスというのもおかしな話ですが・・・)

 第二次世界大戦後、中国はツュンダップKS500のコピー車を生産していましたが、いささか旧式すぎるということで、新たにソ連から、IMZ M72の生産プラントおよびその関連技術一式を購入することになったのです。

 1957年に量産第一号が完成しますが、意外なことに、エンジンはM72のそれをそのままノックダウンすることなく、一部、中国独自に設計し直しているということです。(製造は、江西洪都摩托車製造廠)

1941-1944 BMW R75

 以上、R71のことを散々書きましたが、実のところ、第2次大戦中、活躍したのはその後継であるR75の方でした。1941年から1944年までの3年間で16,500~18,000台程度が生産されました。(R71は3500台弱)

 R71は民生品を軍用としたものでしたが、R75は最初から軍用目的のみにて設計されました。それゆえ兄弟車といえるツュンダップKS750とはパーツの70%を共有しているとのことです。

田宮もKS750とR75をセットでキット化しています。

 R75をなにより有名な存在としたのは、優れたサイドカー付オートバイだったということ。それを実現したのが、サイドカー付きで運転するのに適した後輪のギアケース内のデファレンシャルギア・ロック機構、および、走破性を高めるためにカー側のホイールにもギアケースから出されたドライブシャフトで駆動力を与えるという機構でした。

 ギアは4速で副変速機(悪路用/整地路用)を持ち、バックギアの設定がありました。

 サイドカーのサスペンション形式にはトーションバーとリーフスプリングの2種類がありました。カー側のタイヤには、オートバイ用としては世界初の油圧式のブレーキを装備していました。

 実のところ、これらの装備は、R75よりも早く1940年から生産されていた兄弟車のKS750に採用されていたもので、それがR75にも転用されたわけです。

九七式側車付自動二輪車

 R75のサイドカーに合わせて、取り上げないわけにはいかない車両があります。それは日本の九七式側車付自動二輪車です。分かりやすく言えば、陸王のサイドカーです。

 陸王はハーレーの正式ライセンスを受け、1933(昭和8)年より日本で生産されたフラットヘッド(サイドバルブ)のハーレー(VL1200)そのものでしたが、そのサイドカー仕様は、当時、陸軍で使用されていた米本国ハーレー製のそれと代わって、1933(昭和8)年、九三式側車付自動二輪車として制式採用されました。九三式というのは、1933年は皇紀2593年にあたるゆえです。

 九三式に、独自のカー側のホイールも駆動するシステムを付与したものが、1937(昭和12)年、陸軍に制式採用された九七式側車付自動二輪車です。

 上で書いたとおり、BMW R75やツュンダップKS750のサイドカーも同じ駆動システムを有していましたが、九七式の方が世に出るのは早く、世界初の二輪駆動式サイドカーの栄誉を有しています。あまり世に知られていないような気がするのは、生産台数のせいか、活躍の度合いか、完成度の問題か・・・