私がこのバイク、クオンテール・コスワースに釘付けになったのは、85年のライダースクラブの記事を見たときで、そのとき私は15、6歳、いやしくもスポーツモデルであれば最新=最強のスペックを持ったもの以外、存在理由はない、というありがちなものの見方しかできないハナタレに過ぎませんでした。
雑誌には、英国のローカルレースを走る姿をレポートしており、見た目は今まで見たこともない形で、しかし私好み。肝心のエンジンは10年以上前のものを引っ張り出している、とある・・・2気筒?4気筒じゃないの!?(しかしエンジンの設計はコスワースとある。これは知っている。F1エンジンの供給メーカーじゃないか!)こんな訳の分からないバイクが最新の市販2ストレーサーと互角に走っている・・・なんだこれは?
いまだったら大好物のこの手の世界も、当時の私の価値観では、このバイクを走らせている人らの意図など理解できず、その存在自体に困惑させられながらも私の心を引っかかるものが残ったのです。(自分が持つならメジャーな最新レーサー・レプリカを、と思いながらも、人とは違うもの、珍しいもの、チャレンジングなものへの興味は旺盛だったのです。今に至るマニアックの素地はあったんですね)
ここでクオンテール・コスワースについて簡単に説明しておきます。
60年代後半からの、CB450、CB750Fourで象徴される日本製大型バイクの攻勢にやられ、すっかり弱体化していた英国2輪メーカー最後の砦、ノートンとトライアンフ/BSAは、1972年、最後の生き残りを賭け、政府主導の下に合併し、ノートン・ビリヤーズ・トライアンフ(N.V.T.)となります。
翌73年、N.V.T.は日本製バイクに対抗できるパフォーマンスを持ったエンジンの開発に着手しますが、メーカー内に必要な技術的蓄積がなかったため、社外のコンサルタントに設計(と製造?)を依頼することになります。それがエンジン設計に関しては当代随一、同じ英国のコスワースだったのです。
エンジンが並列ツインになったのは、N.V.T.の今までのノウハウが生かせるためで、コスワースはそれに対し、名機DFV(F1用3L・V8エンジン)の2気筒分を切り出して3000ccx(2/8)=750cc、DOHC4バルブのヘッド&シリンダーを用意したのでした。
つまりエンジンはサラブレッド中のサラブレッド。ただ、360度クランク・ツインバランスシャフトなどノートンの手法が多く入った腰下は、プライマリーのベルト駆動といった当時すでにいささか時代遅れの面も有り、それゆえエンジンのルックスを最初から古臭く見えるようにしている、というのは私の印象。それが今となっては「味」となっているのですが・・・
ちなみにドカの4バルブは、コスワースDFVのヘッドに多分に影響を(一説にはコスワースの技術的協力を)受けており、その点は異母兄弟と言えるかも!?
エンジンから直接生えたフレーム、リアサスペンションは、4輪フォーミュラでは当たり前の手法を持ってきたのでしょう。なお、フレームは、当初、画像のようなアルミ製モノコックではなく、スチールパイプで組まれたものでした。
こうして74年に生まれたのが、ノートン・コスワース・チャレンジという名のバイクで、市販レーサーおよび公道車の生産を前提に、当時のF750カテゴリ向けのレーサーと相当数のエンジン(JAB)が準備されました。75年に英国内のレースにデビューしますが、ろくな成績も残せず、市販車の計画も流れてしまいます。
結局、77年にN.V.T.は倒産してしまいます。
この頓挫したプロジェクトの遺品であったJABエンジンを使って、新たにアップデートされたフレーム、足回りを用意したものが、このクオンテール・コスワースというわけです。エンジンもモディファイされました。(主に排気量拡大。750cc→825cc)、
この新プロジェクトは、クオンテールおよびコスワース社の大株主の全く個人的な趣味によるものとのこと。またレーサーの開発には、往年の名レーサー、ジョン=サーティースが一枚噛んでいるようです。(後述)
同じ記事には、同エンジンを積んだ、よりクラシックなルックス、メカニカル・コンポーネンツを持ったモデルも載っており、なおさら衝撃的でした。変な形(しかしなんとも愛嬌のある)!!と、当時の私は思ったものです。(この車両は当時のチャレンジ・レーサーの状態を、より忠実に残したものであります。「より忠実」であって、「当時と同じもの」ではありません。)
そしてこのバイクと再会する日がくるのです。
ふと本屋で手に取った、86年のデイトナにおけるBOTTをレポートした雑誌。(これが後のクラブマン誌のプロトタイプとなるスクランブルカーマガジン別冊、クラブマンレーサー誌でした)
ここにBOTTのメインイベント、プロツイン2位として大々的に紹介されているのが、あのクオンテール・コスワースなのでした。(ちなみに1位は、マルコ=ルッキネリ駆るドゥカティ750F1、3位はジーン=チャーチ駆るハーレー・ダビッドソン・ルシファーズ・ハンマー)
かつてライダースクラブ誌の記事の記憶が甦る・・・こんなところで再会するとは・・・頑張っていたんだなあ。
ライダーは1年前と同じポール=ルイス。しかし新たな事実が!!画像にもあるとおり、ジョン=サーティースがチーム監督兼第2ライダー(彼ら流のジョークなんでしょう)としてびったりマシンに張り付いています。おお、私が最も尊敬するドライバー(ライダーでもある)、サーティースが絡んでいるとは・・・
この本は、普通にバイクに入れ込んでいる青年がマニアックにひた走る方向性を決定付けるのに大きな力を果たしたのでした。
そして・・・ついに88年のプロツインでコスワース優勝!!(ただしライダーはポール=ルイスではなく、ロジャー=マーシャル。ルイスはHRCのダートトラックレーサーRS750DのVツインエンジンを860ccに拡大し、カフリー・フレームにつんだコモンウエルス・ホンダで出場、リタイア。)
88年型のコスワースは、さまざまな改良が施されており、主だったところはアマルのGPキャブを捨て、インジェクションに・・・当初の90数馬力から120馬力弱まで出力が向上しています。なお、それをしたのはコスワースではなく、イルモア・エンジニアリング(コスワースからスピンアウトしたエンジニアによって設立された)だそうです。
カラーリングは初期モデルのものの方が良かったですね。