関東在住の私ですが、たまたま大阪市内に用事があり、時間を作って堺まで行って参りました!
博物館はマエダ工業跡地に建っているのか?
以前は仁徳天皇陵(大仙古墳)に隣接する市有地内にあった「自転車博物館サイクルセンター」(堺市堺区大仙中町18-2)が、手狭を理由に「東京第一ホテル堺」跡地に移転し、「シマノ自転車博物物館」(堺市堺区南向陽町2-2-1)として新装開館したのですが、ネット界隈では、「その地は、マエダ工業本社(堺市南向陽町2-1-16)跡地に当たるのではないか。あまりに皮肉な現実だ」などとささやかれています。
検証してみる
「東京第一ホテル堺」跡地の売り情報が見つかりました。(29億8,000万円・・・ゴクリ・・・)
こちらが1981(昭和56)年3月20日時のマエダ工業本社の敷地図。
さらにシマノ自転車博物館周辺の航空写真。
上の二つの画像を重ねてみました。
これではっきりしました!!
「シマノが購入した土地はマエダ跡地を完全に含んでいますが、博物館はマエダ跡地を外した区画に建っている」というのが真相です。シマノは今のところ、マエダ跡地を触ることなく、ホテル時代と同じく駐車場のままにしていますが・・・将来、自転車に関係するイベントフィールドになれば嬉しいですね。
博物館に入ってみる
入館料は500円。(1階ホールは無料開放されていて、一部ヴィンテージモデルの展示やお土産を購入できる売店があります)
第5代社長で、第2代社長「尚三」氏長男「容三」氏が財団理事長なんですね。(似た名前ばかりで分かりにくい島野家系図は以下の通り。( )内の数字は歴代社長順。見事に年功序列です)
------------------------------------------------ 島野庄三郎(1) - 尚三(2) - 容三(5) - 豪三 - 敬三(3) - 泰三(6) - 喜三(4) ------------------------------------------------
おや、ホールの奥で研究発表らしきものをやっている・・・
発表者は、その内容、その長身からして、スタンプジャンパーの出自調査の際にお世話になりました(が現実ではまだお会いしたことがない)「CAMBIO工房」主宰のS氏ではないでしょうか?
帰宅後、氏のブログを確認したら、やはりそうでした。大変な奇遇でしたが、時間的にご挨拶することができず残念でした。
江戸時代(~1868)の自転車
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1817(文化14)年 二輪自転車の始祖
1819(文政2)年 若者の間で大流行
1861(文久元・万延2)年 足が地面から離れた
1860(万延元)年代末 ミショー型木製
明治時代(1868~1912)の自転車
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1869(明治2)年 タンデム トライシクル
1870(明治3)年頃 より速く走るために前輪が巨大化
1877(明治10)年 堺のダルマ自転車
1880(明治13)年 自動車の基礎技術を発明
1880(明治13)年代 オーディナリー
1881(明治14)年 スター
1881(明治14)年 ミヤタ創業 |
1882~1885(明治15~18)年頃 最も古い日本製自転車のひとつ
1885(明治18)年 セーフティ自転車への進化
1886(明治19)年 トライシクル
1887(明治20)年 ギアが装着され前輪が小さくなった
1889(明治22)年 安全な自転車の登場
1892(明治25)年 明治の堺を走った自転車
1892(明治25)年 セーフティ自転車
1894(明治27)年7月 日清戦争勃発1895(明治28)年4月 日清戦争終結 |
1895(明治28)年 初期の折りたたみ自転車
1896(明治29)年 空気入りタイヤで快適に走る
1897(明治30)年 5人で力を合わせ世界選手権優勝
1900(明治33)年 ハンモックのサドルで快適な乗り心地
1903年7月 第1回ツール・ド・フランス開催 |
1903(明治36)年 女性が使いやすいよう工夫
1904(明治37)年2月 日露戦争勃発1905(明治38)年9月 日露戦争終結 |
大正時代(1912~1926)の自転車
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1914(大正3)年7月 第一次世界大戦勃発 |
1916(大正5)年 高級ブランド名の日本製自転車
1918(大正7)年11月 第一次世界大戦終結 |
1919(大正8)年 初期のディレーラー付き自転車
1921(大正10)年 優雅な姿と快適な乗り心地
1921(大正10)年2月 シマノ創業1894(明治27)年生まれのシマノ創業者「島野庄三郎」は、当時の封建的な教育制度に反発して、小学校を3年生で自主中退する。 12歳の頃、手先の器用さを活かすべく刃物職人の徒弟を始めると、母方の親戚の山内家に預けられ、そこで生涯の盟友「山内一夫」と出会う。二人は大変気が合い、後に旋盤職人として、また起業家としても互いに影響しあうことになる。 1909(明治42)年、14歳で、当時の先端技術を支えた旋盤職人となるべく、山内一夫とともに「高木鉄工所」に入所する。 渡り職人として「日の本鉄工所」、「万代鉄工所」に勤めた後、 1918(大正7)年、23歳で「大勝鉄工所」の職長になる。 1921(大正10)年2月、26歳で独立、六尺旋盤1台を元手に「島野鉄工所」を設立する。 1922(大正11)年、フリーホイール生産に着手。 |
1922(大正11)年9月 マエダ工業創業「前田鹿之介」が「日の本鉄工所」から独立し、「前田鉄工所」を設立する。 |