生きるMTBの歴史、MTB界の饒舌なスポークスマン、ゲーリー・フィッシャーはよく過去を語る。それは、事実そのままであったり、多分に自分に都合の良いように改変されていたり、あるいは単に記憶違いであったり・・・と様々で、読み手がそのまま鵜呑みにせず、慎重に判断しなくてはならないことは多々ある。しかし、貴重な情報源であることは間違いない。
彼が2014年末のサンスポによるインタビュー( https://cyclist.sanspo.com/163166 )で、1983年に日本の名だたるパーツメーカーのお偉いさんの前で素晴らしいプレゼンをした、と語っているのを私は見逃さなかった。
2 comments
Satoshi Yoshizawa says:
7月 9, 2019
コメントありがとうございます。
ご提示いただいた資料は残念ながら持っておりませんが、当方の過去の投稿にある『1982年、ゲーリー・フィッシャー、トム・リッチーに加え、カナダのロッキーマウンテン社(リッチーのカナダ代理店)のジェイコブ・ヘリボーン(Jacob Heilbron)の3人は、日本の自転車関連会社と取引を始めるために来日している。この商用旅行は、ゲイリーフィッシャー・モンターレおよびリッチー・ロッキーマウンテンとして結実した。』がまさにその『Gary fisers and Ritcheys trip to Japan』と同じものだと思われます。読んでみたい記事ですね。
これを機会に今後、情報交換が出来ましたら幸いです。よろしくお願いいたします。
CHIHIRO says:
7月 7, 2019
はじめまして。
MTBの歴史に興味を持つ者です。興味深い記事の数々、楽しませていただいています。
今回の記事から初めて、「MTBの神様」の「プロモーションの実力」の一端がわかりました。
ひとつお聞きしたいことが。
この記事は、「日本の自転車産業界」に向けての、「MTBに必須の機能を実現するための、機材の要望」を今で言う「プレゼンテーション」したもの、と受け取っていますが、彼は「日本の自転車産業の実力」を前年82年に「Bike Tech誌」に発表したらしいのですが、以下の資料をお持ちでしょうか。
それは、
October 1982.Bike Tech.
表題 The View from Japan
Describes Gary fisers and Ritcheys trip to Japan and how the Japanese companies jamped aboad the mountain bike trend
です。
今回の記事のきっかけのひとつだと思われるのですが。
です。