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お手付きモデルズ

These kits are a personal collection, not articles for sale.
Now, I have 534 plastic model kits.

1/16 Fujimi – Ferrari F40 GT Monte Shell

フェラーリF40シャーシ番号#80742は、F40の中で最も多くの勝利を収めたマシンとして、歴史に名を残した。#80742はアップグレードし続け、最終的にはLM仕様に進化している。


1989年7月、初期モデルのシャーシ番号を持つ#80742は、ミラノのフェラーリコレクター、ヴィットリオ・コロンボにロードカーとして納車された。


#80742は、ジョリークラブ創設者マリオ・アンジョリーニの息子、ロベルト・アンジョリーニに売却された。


国際ツーリングカー選手権 (ITC) は、コストの上昇による参加者の減少により、崩壊の一途をたどっていた。一方、国内GT選手権は、プライベーターがリーズナブルな予算でレースに参加できるカテゴリーとして、人気を博し始めていた。その代表格がイタリアGT選手権で、その初年度である1992年当時は、グループNに準じ、ライトモディファイを施したフェラーリF40が主流であった。

翌1993年から大きな改造が認められることが決まると、フェラーリ本社は、パドヴァに本拠を置き1970年代からフェラーリのパートナーとして、GTレースカーの製作を行ってきたミケロット社(家族経営の小規模な会社である)を通じ、F40をCSAI (Commissione Sportiva Automobilistica Italiana) -GT仕様に改造するアップグレードパックを提供することになった。(ミケロット社はすでに、IMSAのルールに則ったF40 LMをワークス3台、カスタマー向け19台を製作していた)

その内容は、パワーアップ(475psから560psまで向上)と軽量化(1050kgまで低減)の他、レース装備品の取付(防火システム、フルロールケージ、プレキシグラス製スライドウィンド、クイック燃料フィルシステム、油圧式クイックジャッキなど)、ホイール(スピードライン製ワイドホイール)、サスペンション、ブレーキ、ギアボックス、アンダートレー(エンジン冷却ダクト付き)の変更であった。車高は5cm下がっている。

ロベルト・アンジョリーニは、ミケロット社に、#80742のアップグレードを依頼した。ミケロット社は、F40のCSAI-GT仕様を7台のみ製造したが、#80742はそのうちの1台となった。


1993年シーズン、ジョリークラブは2台のF40を走らせた。#80742はシェルのスポンサーを得、ドライバーには、マルコ・ブランドが起用された。マルコ・ブランドは、10戦中8勝という圧倒的な強さで、シリーズ・タイトルを獲得している。


中期モデルでは、全部エアダクト下部のロゴが “STRACCIARI” となっている。


シーズン後半にはシェルのロゴが小さくなっている。


1994年シーズン、ジョリークラブは3台のF40を走らせるようになった。スポンサーは、トティップ(競馬クジの会社)に替わり、#80742はトティップカラーを纏う3台のうちの1台となった。

#80742は、優勝5回、2位6回と健闘したが、フェデリコ・ダモーレ、オスカー・ララウリ、マウロ・トリオーネ、アルトゥーロ・メルザリオの4人が駆ったため、ポイントは分散した。1994年のタイトルは同じチームで、優勝6回、2位1回、3位5回のヴィットリオ・コロンボが獲った。

イタリアでのシーズンが終わると、#80742は、日本のチーム・タイサンに売却された。ミケロット社によって、エンジン、ギアボックス、ブレーキ、サスペンション、ホイール(18インチOZホイール)がLM仕様に改修された後、日本に送られた。

#80742は、すでに全日本GT選手権を走っていたタイサンF40(#80780)と合流し、1994年シーズン最終戦、美祢300kmにて、滑り込みで日本デビューを果たした。「鈴木恵一/松田秀士」組のドライブで8位となる。


1995年は2戦にのみ出場した。開幕戦、鈴鹿300kmでは、「近藤真彦/アンソニー・レイド」組のドライブで11位。第2戦、富士ではアンソニー・レイドのドライブでリタイヤ。シーズン途中でチームはマシンをニューマシン(ポルシェ993GT-2)にスイッチしてしまう。#80742は、1995年シーズン終了をもって現役引退となった。


About Jolly Club

元レーサーの「マリオ・アンジョリーニ」(Mario ANGIOLINI)は、1957年2月11日、ミラノのレストラン「ジャンニーノ」で仲間と食事をした後、18人からなるプライベート4輪レーシングチームを結成した。チームは、トランプカードの中で最も多才な「ジョリー」(道化師)にちなみ、「ジョリークラブ」と名づけられた。

1年後には、チーム員は300人を超えるまでになっていた。1966年にマリオが早世すると、ジョリー・クラブの経営は、妻のレナータと息子のロベルトが担い、ラリー、フォーミュラ、ツーリングカーの国内選手権のほか、世界ラリー選手権、スポーツカー世界選手権、ヨーロッパツーリングカー選手権で活躍した。

当初は、アルファロメオと関係が深かった。

その後、ランチア、フィアット、

フェラーリ他とも関係が築かれた。

短期間ではあるがF1世界選手権に参戦している。残念ながら、成功しなかった。

1971 Bellasi F1 70 – Cosworth DFV – Silvio Moser

1977 Apollon Fly – Cosworth DFV – Loris Kessel

1986 AGS JH21C – Motori Moderni V6 Turbo – Ivan Capelli

1997年、資金難で倒産、チームは閉鎖された。

2007年、アンドレア・グイディがフィレンツェで、ジョリークラブを再生させた。


About Michelotto

1969年にパドヴァで設立され、レーシングカー、プロトタイプの開発・熟成作業を手掛けている。フェラーリとの関係は1973年から持っている。

1971 Italian Touring Championship Group 1

1971年、イタリア国内ツーリング選手権グループ1 850ccクラスを制覇。

1973 Lancia Stratos

1973年、ランチア・ストラトスをイタリア国内ラリー選手権にデビューさせる。5度の選手権と30以上の優勝を得ている。

Ferrari 308 Gr.4 / Gr.B

1970年代後半、フェラーリから依頼を請け、グループ4仕様の308を相当数作っている。(世界ラリー選手権にグループBが導入されると、グループ4車両はそのままグループBに適合された)

フェラーリ308グループ4は、タルガフローリオ優勝2回、ツール・ド・フランス優勝2回、イタリア国内ラリーとスペイン国内ラリー選手権を獲得している。

1983 Ferrari 308GT/M

308 Gr.4 / Gr.B 開発の経験をもとに、フェラーリから308GT/M 開発依頼を請ける。

1985 Ferrari 288GTO Evoluzione

1985年、288GTO Evoluzioneの開発に参加する。280GTO EvoluzioneはF40の開発ベース車となった。

1989 Ferrari F40 LM

フェラーリからF40のレースバージョンの製作を依頼され、IMSA US選手権に向け、19台のF40 LMを製作した。

1993 Ferrari F40 GT

イタリアGT選手権に7台のフェラーリF40 GTを製作した。

1995 Ferrari F40 GTE

BPRグローバルGTシリーズに7台のフェラーリF40 GTEを製作した。

1994 Ferrari 333SP

1994年、フェラーリは、ダラーラとミケロットとの協力で333SPを発表、ミケロットに全面的にプロジェクト・マネジメントを依頼した。1997年から2001年にわたる長いキャリアの中で、69回のポールポジションと56回の総合優勝を得、FIAスポーツカー選手権を4連覇(1998年、1999年、2000年、2001年)している。

Small Ferrari Competizione

1990年代から2000年代にかけて、ミケロットは、348、360、F430、F458といったフェラーリ・「スモール」カーのレーシング・バージョンを手がけている。

2022 Isotta Fraschini Tipo 6

2022年、ミケロットは、2023年の世界耐久選手権に参戦すべく「イソッタ・フラスキーニ・ティーポ6」の製作が発表した。

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