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お手付きモデルズ

These kits are a personal collection, not articles for sale.
Now, I have 534 plastic model kits.

1/24 Gunze – Cobra Daytona Coupe


3箱も所有・・・なにやってんだか・・・

3つのキットで、いろいろなバージョンを再現するのもいいのですが、いっそ3台揃ったならではの表現をしてみたいと思います。

コブラデイトナクーペの活動期間は意外に短く、シェルビー・ワークスとしては1964年と1965年の2年間に過ぎません。その2年間におけるハイライトは、やはりルマン24時間レースでしょう。というのも、デイトナ・クーペは、ルマンの長い直線におけるコブラ・ロードスターの空力改善が、その登場理由ですから。

となると、1964年のルマンを選ぶか、1965年でいくか、となるのですが、リザルトを見ると・・・

1964/06/22	24h Le Mans
 5	#CSX2299	D.Gurney / B.Bondurant		Shelby American Ltd.	4th
 6	#CSX2287	J.Neerpasch / C.Amon		B. S. Cunningham		DNF
 7				Ed Hugus				Ed Hugus			DNA

1965/06/20	24h Le Mans
 9	#CSX2286	D.Gurney / A.Grant			Shelby American Inc.	DNF
10	#CSX2287	B.Johnson / T.Payne		Shelby American Inc.	DNF
11	#CSX2299	J.Sears / D.Thompson		A. C. Cars Ltd.		8th
12	#CSX2601	J.Schlesser / A.Grant		Ford France			DNF
59	#CSX2602	P.Sutcliffe / P.Harper		Scuderia Filipinetti		DNF

1964年は2台しか走っていないんですよね(1台はDNAでサーキットに現れていません)。一方、65年は5台も走っている・・・まあ、以下のようなトランスポーター(の「もどき」)を作って、1965年の#9、#10、#11号車を載せてみようかと。







FIAT Bartoletti Tipo 306/2 Transporter

フィアット306は、フィアット・ヴェイコリ・インダストリアル社(フィアットのバス部門)が、1956年から1982年まで製造した商用バス。トラック用車台の流用ではなく、バス専用として設計された初めてのモデルで、年式によって、306(1956-1959)、306/2 (1960-1961)、306/3 (1962-1982)の3モデルが存在します。

フィアットは車台のみ生産し、社外のカロッツェリアがボディの架装を担当したため、カロッツェリアの数だけ異なるボディがあります。

1957-58 Maserati F1 team

このフィアット・バルトレッティ 306/2の最初のオーナーはマセラティF1チーム、と多くのサイトで言及されていますが(そうではなく、最初のオーナーをスカラブとするサイトも存在します)、当時のマセラティのトランスポーターのベースモデルは、306系ではなく、より古く、より小型の640系(642RN2)であることは明らかです(306系ベースのマセラティのトランスポーターの存在は、今のところ、確認できていません)。

1960 Reventlow Automobiles Scarab

ランス・リヴェントロウ率いるスカラブが、F1参戦でヨーロッパを巡る際、(マセラティから譲りうけた?)トランスポーターを使用しています。

1964-65 Shelby American

1962年いっぱいでスカラブが解散すると、多くのスタッフがシェルビー・アメリカンに移籍しました。その時、スカラブのトランスポーターもシェルビーの手に渡り、シェルビーが1964年および1965年にFIAのグランドツーリングカー世界選手権に参戦した際に使用されています。

件のトランスポーター、本来は4輪でしたが、シェルビー時代にタグアクスル(補助軸)が増設され、6輪となっています。

1965 Alan Mann Racing

シェルビーのトランスポーターは、新たにフォード陣営に加入した英国のアラン・マン・レーシングに売却されています。

1968 John Woolfe Racing

アラン・マンのトランスポーターは、同じ英国のジョン・ウルフ・レーシングチームに売却されます。しかし、ジョン・ウルフは1968年のル・マン24時間レースで事故死してしまいます。

1968 David Piper Racing

ジョン・ウルフのトランスポーターは、同郷のデイヴィッド・パイパーに引き取られることになりました。パイパーはスポンサーカラーの「BPグリーン」に塗り替えています。

1969-1970 Steve McQueen “Le Mans”

パイパーは、スティーブ・マックイーンが「栄光のル・マン」を撮影する際、自分のトランスポーターを貸し出しています。映画の中では、ルノー/ミラージュチーム、ポルシェ/ガルフチーム、スクーデリア・フェラーリのチームカラーに塗り替えられ、登場しています。

JCB Historic Racing Team

栄光のル・マンの撮影を終えた後、アンソニー・バンフォード率いるJCBヒストリックレーシングチームに引き取られています。

Michael L Shoen

コブラ愛好家で「Cobra-Ferrari Wars 1963-1965」を書いた作家マイケル・ショウエンがJCBのトランスポーターを譲り受けました。車は、アリゾナ州メサで何十年間も放置されてしまうのですが、砂漠の乾燥した空気の中に置かれたのが不幸中の幸いでありました。

Don Orosco

スカラブ・コレクターとして知られるドン・オロスコによってレストアされることになりました。

その大規模なレストア作業は、18ヶ月後の2008年モントレー・ヒストリックに間に合うよう、急ピッチで行われ、見事、予定通りの完成披露を果たしたのです。

この車両のディーゼルエンジンは、オリジナルのフィアット製からレイランド製に載せ換えられていますが、それが行われた時期は、アラン・マン・レーシング時代、あるいはバンフォード(JCB)時代と2説存在します。

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