読むMTB [ 19 ] – 1983/02/21 Gary Fisher’s MTB seminar at NY int’l cycle show
生きるMTBの歴史、MTB界の饒舌なスポークスマン、ゲーリー・フィッシャーはよく過去を語る。
シュウイン・バーシティ・クランカー on ヤフオク
日本ではMTB人気は底を打っている・・・(今が底だと信じたい。まだ沈む余地はあるのだろうか?)1990年台の大ブームの反動は大きく、低迷は長く続いている。
極上マイクロ・ハリー on ヤフオク
おはよう!サンデー 「おはよう!サンデー」という子供むけ番組が日曜の朝にあった。まだ駆け出しだったコント赤信号がメインMCで、子供たちに釣りやらなんやら未知のイベントを体験させる内容だったが、ある時、皇居一周マラソン大会を主催した。その回の反響はいかほどだったのか、すぐに番組はマラソン大会だけを行うようになった。 左からコント赤信号の3人、日髙のり子の後任・藤木まり、志生野温夫アナ レースは男子、 […]
ゲーリーフィッシャーの6つの進化
80年代末のゲーリー・フィッシャーは全盛期にあった。自チームの「サラ・バレンタイン」が3度目のワールドチャンピオンを獲得した1989年は、まさに絶頂期にあったといえよう。ゲーリー・フィッシャー当人は、歩みを止めることなく機材の革新に勤しんでいた。
読むMTB [ 16 ] – UCI MTB世界選手権 1990
NORBA の国内選手権は、ヨーロッパの UCI (Union Cycliste Internationale) のオーガナイズに組み込まれると、1990年より世界選手権の格付けで行われることになった。第1回大会はコロラド州デュランゴ(Durango)で行われた。競技種目は、男子クロスカントリー、男子ダウンヒル、女子クロスカントリー、女子ダウンヒルの4種であった。(現在、世界選手権では7種目とな […]