鈴鹿・夏の陣
マニュファクチュア マシン 決勝順位 予選順位 周回数 No. 1st ライダー 2nd ライダー チーム 78 79 マニュファクチュア マシン 決勝順位 予選順位 周回数 No. 1st ライダー 2nd ライダー チーム 80 DUCATI 900SS DNC 35 43Laps #51 斉藤三夫 草問郁夫 BIG BOY 81 82 DUCATI 900SS 27 28 108Laps #11 James C ADAMO (US) Doug LANTZ (US) KENNY SPORTS MC DUCATI 900SS DNC 29 87Laps #10 Tony RUTTER (GB) George FOGARTY (GB) KENNY SPORTS MC DUCATI 900NCR 予選不通過 #38 平塚庄治 三原嗣厚 オサダモータース 83 DUCATI DM650SL/A 18 42 171Laps #47 新井亮一 根元健 POWER HOUSE MOTOR CLUB DUCATI DM650SL 21 49 170Laps #48 仲川昇 菅野豊 POWER HOUSE MOTOR CLUB DUCATI DM6 DNC 39 93Laps #56 Ikuo KUSMA Tsuguatsu MIHARA Team KUSHITNI DUCATI DM650SL DNC 33 54Laps # 9 Bob SMITH (GB) Tony RUTTER (GB) KENNYS SPORTS MOTORCYCLES 84 DUCATI DM650SL/A 13 29 177Laps #19 Oliviero CRUCIANI (IT) 坂本万里雄 DUCATI SPA DUCATI DM680SL/A DNC 30 63Laps #21 Walter CUSSIGH (IT) 伊藤真二 POWER HOUSE MOTOR CLUB DUCATI DM650SL/A DNC 28 46Laps # 4 Walter VILLA (IT) Carlo PERUGINI (IT) DUCATI SPA 85 86 87 88 89 DUCATI 851改888 予選不通過 #23 オスカル・ラ・フェルラ ウォルター・クッシー LIPSTAR Racing & Team Fukui マニュファクチュア マシン 決勝順位 予選順位 周回数 No. 1st ライダー 2nd ライダー チーム 90 DUCATI DM851 DNC 48 39Laps #37 Roy LESLIE (AU) Daniel COE (US) Team FUKUI DUCATI DM851 DNC 59 4Laps #80 Massimo BROCCOLI (IT) Stefano CARACCHI (IT) SAZALE RT PHMC DUCATI 888SP2/906 予選不通過 #24 ジミー・アダモ G・カンタルポ GIO-CA-MOTO DUCATI 888 予選不通過 #93 辰巳保夫 山本理彦 CLUB1・2 / ブルーポイント 91 DUCATI 888 RACING 36 34 154Laps # 6 Raymond ROCHE (FR) Giancarlo FALAPPA (IT) SAGAWA KYUBIN Racing DUCATI 888 RACING DNC 41 26Laps # 5 Stephane MERTENS (BEL) Davide TARDOZZI (IT) SAGAWA KYUBIN Racing DUCATI ZDM888S DNC 48 109Laps #86 中村英康 飯塚昌弘 JIN PRIZE RT DUCATI 851SP2 予選不通過 #28 鈴木徹 ロイ・レズリー ミスタードーナツRT DUCATI 851SP2 予選不通過 #76 桧尾幸穂 ジミー・アダモ Team Fukui 92 DUCATI 888 44 60 160Laps #45 James ADAMO (US) Eric MOE (US) TEAM FUKUI DUCATI 888 DNC 53 74Laps #76 Akira SHIINA Daniel WALKER (US) JIN PRIZE TIME DUCATI 93 DUCATI 888 CORSA 28 23 193Laps #57 鈴木誠一 小山勝則 TEAM de"light DUCATI DM 888 DNC 56 147Laps #63 Roy LESLIE (AU) 桧尾幸穂 Fukui & Delta Oil JAP DUCATI 888Corsa -- -- -- #44 新垣敏之 -- シルヴァーバード 94 DUCATI 815S 38 56 161Laps #49 Koji NAGAO Atsushi HONDA Team RS KOGA DUCATI 888 DNC 29 12Laps #80 Roy LESLIE (AU) Hidetoshi DOI Team FUKUI & DELTA OIL 95 DUCATI 888 DNC 63 163Laps #56 Hiroshi ISHIDA Ritsuko YASUDA Panasonic FUKUI 96 97 DUCATI 916 36 11 163Laps #10 Hitoyasu IZUTSU Makoto SUZUKI Team Foundation 98 99 DUCATI 996SPS DNC 69 167Laps #49 SB 堀義光 藤原誠 La Bellezza Speed マニュファクチュア マシン 決勝順位 予選順位 周回数 No. 1st ライダー 2nd ライダー チーム 00 01 DUCATI 996SPS 予選不通過 #67 ST Makoto SHOJI Miyuki MARUYAMA Team 30's DUCATI 996SPS 40 54 190Laps #996 XF 加藤 義昌 堀 義光 La Bellezza Speed 02 DUCATI 996 予選不通過 #53 SP Y.KAKE'E K.ARAI TEAM STRADA DUCATI 996 50 49 173Laps #996 XF 加藤 義昌 堀 義光 La Bellezza Speed 03 DUCATI MONSTER S4 43 78 185Laps #4 XF2 根本 健 堀 義光 La Bellezza Speed 04 05 06 07 08 09 マニュファクチュア マシン 決勝順位 予選順位 周回数 No. 1st ライダー 2nd ライダー チーム 10 11
1982年 台風直撃の豪雨で、レースは6時間に短縮された。
飯島茂男/萩原紳治(ホンダCB900F)の社内チームが優勝。大荒れのレースのおかげで、雨の鈴鹿に慣れた地元ライダで上位は占められた。
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
1983年 1000cc最後の年。elf-e来日。ホンダ・ワークスは翌年を見越し、フルスケールではないRS850Rを投入する。ヨシムラとモリワキがコンビを組んだ最強プライベートチームが誕生。
優勝はエルブ・モアノー/リカルド・ユービン(スズキGS1000R)。
1984年 750ccによる初のレース。レースへの注目度は年を増すごとに高くなり、エントリー数は、決勝枠60に対し81チームとなり、開催初めて予選落ちが生じた。
優勝はマイク・ボルドールウィン/フレッド・マーケル(ホンダRS750R)は、予選タイム 2分24秒02で、191LAPというリザルト。ドゥカティ勢の予選は、仲良く28位、29位、30位と並んでいます。当時のレポートには、「予選は3台共バラバラに走行しての結果で、タイムがほぼきれいに並んだのが興味深い!」とあります。
ミントレーシングからBMW R80が2台出走しています。こちらの成績は16位(ジョン・ロング/デビッド・エムデ)、17位(千石清一/加藤栄重)と好成績で頑張っています。幅広いフラットツインのため、バンク角を確保するためにエンジン・マウントをを80mm上げてしていたのは有名。
この時代までは他にも興味深いマシンのエントリーが多いです。「古き良き時代」だったのでしょうか? (By 矢野)
DUCATI SPA.
#4 ウォルター・ビラ/カルロ・ペルギーニ 車名 DM650SL/A エントリーチーム DUCATI SPA. 予選タイム 2分33秒14 リザルト 決勝54位 46LAPリタイヤ
カルロ・ペルギーニ選手
やはりパンタ・レーサーはカッコイイですね。
PHMC車両は昨年のTT2ベースですが、ワークスの方は、最新のフレーム(ロッカー・ラパイド)を持ち込んでいます。ヘアピン手前の110Rでの速度計測データでは、坂本万里雄(最年少エントリー)のドカが122km/hとあります。ちなみに、ホンダワークスは155km/hです。(がっくし・・) (By 矢野)
#19 オリビエロ・クルチアーニ/坂本万里雄 車名 DM650SL/A エントリーチーム DUCATI SPA. 予選タイム 2分33秒46 リザルト 決勝13位 177LAP完走
ワークスチームの面々
[前列] 左から2番目、ブルーのツナギがNCRのN、ジョルジュ・ネポティ。
[後列] 左端がフランコ・ファルネ。イタリア国旗の後ろにいる細身の人が同じくNCRのC、リノ・カラッキです。
Power House Motor Club
#21 ウォルター・クッシー/伊藤真二 車名 DM650SL/A エントリーチーム パワーハウスモータークラブ 予選タイム 2分33秒52 リザルト 決勝49位 63LAPリタイヤ
1989年 ドミニク・サロン/アレックス・ビエラ(ホンダRVF750)が、優勝候補らが続々とリタイヤする中で、波乱のレースを制した。史上最多となるはずだった203周目は、興奮したファンがコースに乱入したため幻の記録に終わった。
85年にケニーと組んでの出場以来、最期のツキに見放されていた悲運の男・平忠彦はまたしても、トップに迫る勢いを見せながらもリタイアに終わった。85年から88年まではDUCATIにとっては冬の時代か、エントリーはありませんでした。もしエントリーしても、マシン的に相当ツラかったでしょうね。
89年の年の外車エントリーは4台(内予選出走2台)です。 (By 矢野)
LIPSTAR Racing & Team Fukui
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
1990年 平忠彦/エディー・ローソン(ヤマハYZF750)が、205周の史上最多周回で宿願の優勝。最大の宿敵、予選ポールのガードナー/ドゥーハン組はシケインで転倒後の追い上げの最中、給油ミスによるガス欠でリタイア。
タレントの清水国明は福田照男と組み、予選で右鎖骨を骨折した痛みをおし、見事、8耐完走を果たした。清水はこの完走をもってレース活動から引退する。世はまだまだバブル期で、ドカはいっぱい走ってます。この傾向は92年位まで続きます。91年にはワークスの参加もありましたが、多くはショップ単位のプライベート・チームによるエントリーで、車両も純レーサーであるコルサもあったでしょうが、市販車であるSP系でのエントリーも多かったようです。
(By 矢野)
SAZALE R.T.
#80と#88はPHMCからのエントリーで、チーム監督は写真家の加納典明氏。
国産メーカーが未だキャブを使用する中、まだまだノウハウの少ないインジェクションのセッティングに、どのチームも、相当、悩まされていたようで、PHMCも例外ではなく、#80を予選通過させるのが精一杯だったようです。
このサザレRTのエントリーは、事前に派手な記者会見やTVの特集などもあり、かなり話題になったのですが、決勝はわずか数LAPで転倒リタイヤ。ちょっと寂しいです。
#80 マッシモ・ブロッコリ/ステファーノ・カラッキ 車名 ドゥカティDM851 エントリーチーム SAZALEレーシングチーム 予選タイム 2分21秒707 59位 リザルト 転倒リタイア
#88 ステファーノ・ペンネーゼ/フランチェスコ・モナコ 車名 ドゥカティDM851 エントリーチーム SAZALEレーシングチーム 予選タイム (予選不通過)
Team Fukui
#37 鈴木徹/ロイ・レスリー 車名 ドゥカティDM851 エントリーチーム チームフクイ 予選タイム 2分20秒753 48位 リザルト 57位 39LAP 転倒リタイア
GIO・CA・MOTO
#24 ジェームス・アダモ/ジョルジョ・カンタルポ 車名 ドゥカティ エントリーチーム GIO・CA・MOTO 予選タイム (予選不通過)
CLUB1・2 / ブルーポイント
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
1991年 豪雨、晴れ、また雨・・・と次々に変わるコンディションの中、転倒が続出。本命のワイン・ガードナー/マイケル・ドゥーハン(ホンダRVF750)が192LAPで優勝。ガードナーは3度目のVで、マイク・ボールドウインの最多記録に並ぶ。
ガードナー/ドゥーハン組を果敢に追い上げたヤマハのK・マギー組が観客を沸かせたが、結局、転倒にで終わる。
この年は観戦に行き、当時の記憶も鮮明です。
前日の土曜日は雨、決勝当日も雨、ドライ、雨、ドライ、とめまぐるしくコンディションが変化しました。(見ている方はおもしろいけれど・・)
年々、騒音規制が厳しくなり、4発勢は本当に静かになった中、DUCATIのみ他とは違うサウンド(単に重低音がうるさい?)で、確認がし易かったです。
ドゥカティ勢のエントリーとしては、この年が一番活気がありました。ただ、いまいち走りに元気は感じられなかったですが・・・・
すでにインジェクションを採用していた851(888)系は、モロにこの不安定な天候に左右されたようで、期待された成績が残せませんでした。(当時、851系レーサーのインジェクションセットの難しさについては、いろいろなところで話題になっていた記憶があります。) (By 矢野)
佐川急便ドゥカティレーシング
チーム監督は、マルコ・ルッキネリ
ライダーには当時のスーパーバイクからレイモン・ロッシュ、ジャンカルロ・ファラッパ。そして準ファクトリーのステファン・メルテンス、開発ライダーのデビッド・タルドッツィ。まあ、ほぼ当時の最強DUCATIライダーを皆連れてきた、って感じですね。
マシンは、スクーデリア・コルス・ルッキネリが調達、ジョカモト・イタリアが耐久仕様にセットアップした、ということで、作業はドゥカティメカニカ内で行われた為、ほとんどワークス仕様という事です。
ドゥカティ本社からのプレスリリースでは「オフィシャル参戦ではない」とありましたが、実質ワークスと言えるマシンとチーム体制でした。
(By 矢野)
#6 レイモン・ロッシュ/ジャンカルロ・ファラッパ 車名 ドゥカティ888RACING エントリーチーム 佐川急便ドゥカティレーシング 予選タイム 2分19秒196 34位 リザルト マシントラブルリタイア 154LAP
個人的には、スポンサー・カラーではなく、イタリアンレッドで走って欲しかった。赤、白、青のマシンは、見てても目立ちません。(By 矢野)
#5 ステファン・メルテンス/デビッド・タルドッツィ 車名 ドゥカティ888RACING エントリーチーム 佐川急便ドゥカティレーシング 予選タイム 2分19秒252 41位 リザルト 転倒リタイア 21LAP
予選タイムは天候の影響もあり19秒台でしたが、フリー走行ではコルサベースエンジンですぐに18秒台をマークしていたようです。さらに予選用エンジンを使用して15秒台を狙っていたようですが、このタイムは幻に終ったようです。(ちなみにPPは13秒925ですので、この差は大きい・・・・)
決勝では、#5メルテンスが6周目に転倒。修復に30分以上かけ再スタートしたものの、その1H後のピットイン時、フロント・アクスルシャフトが抜けなくなり、そのままリタイヤとなりました。
#6は順調に周回を重ね、5H後には9位を走行していました。が、154LAPでファラッパが予定外のピットイン。前バンクのタイミングベルト切れで、こちらもリタイヤとなりました。
この年の鈴鹿は、当時、噂としてささやかれていたドィカティ・ワークスによる耐久レース進出を見据えた上での参戦だったのかもしれません。たいした結果は残りませんでしたが。
そのせいかどうかは定かではありませんが、ワークス体制での参戦は、以後ありません。(寂しい・・・)
(By 矢野)
車重は、この耐久仕様で152s。(スーパーバイクが143s)
マシンは1ヶ月程で急造したようで、国産メーカーのように開発期間があった訳ではなく、また、何でもアリに近かったTT-F1(国産)とスーパーバイク(DUCATI)のレギュレーションの差もあり、苦しいものがあったように見受けられます。
(By 矢野)
エンジンはコルサスタンダード888cc(94×64)、ワークス888cc(94×64)、スプリント918cc(95.6×64)など計9基を持ち込んだとのこと。(その後のSUGO-SBKのテストもあったのかも?)
スプリント918cc仕様は、新作のエキパイ(管長を稼ぐタイプ)も使用し、後輪132PSをたたき出していたようです。ただ、この918ccエンジンは予選でのみ使用。
(By 矢野)
[左] ウォーターポンプ周りの配管を耐久仕様に変更。
[右] タイヤは#5がピレリ、#6はミシュラン。この年の8耐におけるピレリユーザーはここのみ。
#5の為だけに300本以上のタイヤを持ち込んでいたとのこと。至るところにカーボン製パーツを採用(ステー類も)。当然ながらサイレンサーもカーボンでしたが、これは予選のみ。
決勝は耐久性を考慮し、アルミサイレンサーに変更していました。足回りは、クイックチェンジ対応。
国産ワークスほどの大掛かりなクイックチェンジではなく、リアホイールをはずすとスイングアーム側にスプロケとブレーキローターが残るマルケジーニが考案したマルケジーニ・システムとよばれる方式を採用していました。
ちょっと前の時期のヤマハYZFと似たシステムだったようです。
このため、スイングアームは通常より10mm広いスペシャル品としていました。
(By 矢野)
ジンプライズDUCATI・RT
この年は全日本TT-F1にも参戦しており、気合いも入っていたようで、ドゥカティワークス勢に次ぐタイムを出していました。
ただ、オイル漏れのトラブルを抱え、決勝はピットスタート。実際の走行開始は決勝開始30分後からとなったようです。
その後もピットインを繰り返しながら走行するも、2時間後に、本格的な修復に取り掛かりました。この際、前バンクのヘッドガスケットを交換しています。
その後は順調に周回を重ね、チェッカーを受けましたが、数を重ねたピットインの影響もあり、規定周回数未満にて完走扱いとはなりませんでした。 (By 矢野)
#86 中村英康/飯塚昌弘 車名 ドゥカティZDM888S エントリーチーム ジンプライズDUCATI・RT 予選タイム 2分20秒118 48位 リザルト 規定週回数未満 109LAP
Clubman with Fukui
1990年に引き続き、マシンは851SP2(888cc)。
チーム名にもある通り、クラブマン誌が応援。
この年は、ライダーに全日本125cc参戦の2名を起用。2人とも8耐WEEKに入って初めてDUCATIに乗りました。やはりこれがネックとなり、練習中から度重なる転倒でマシンセットが思うように進まず、予選ではJ・アダモにライダー変更するもタイムを詰めれず、予選通過となりませんでした。 (By 矢野)
#76 桧尾幸穂/ジェームス・アダモ 車名 DUCATI ZDM888S エントリーチーム Clubman with FUKUI 予選タイム 予選不通過
ダスキン ミスタードーナツR.T
監督は、タレントの所ジョージ氏。チーム自体は、オーストラリア国内選手権にエントリーしている現地のドゥカティ・ディーラーチームです。
マシン製作は、エピサイクルのピーター・スミス氏と、細田昌二氏が担当。
ここのマシンが他と違うのは、インジェクションセット方法で、当時はあらかじめセットされた複数のROMの中から合うものをチョイスするというのが一般的な中、走行データをとり、そのフィードバックによる特性変更をを。ハンドヘルド・ターミナル(まだノートPCではなかった)を使って行っていたようです。
今では当たり前となった方式ですが、当時は結構、先進的な事をでした。
ところが、やはりセッティングには苦しんだようで、残念ながら予選通過となりませんでした。 (By 矢野)
#28 ロイ・レスリー/鈴木徹 車名 ドゥカティZDM851 エントリーチーム ダスキン ミスタードーナツR.T 予選タイム 予選不通過
1992年 ワイン・ガードナー/ダリル・ビーティー(ホンダRVF750)が、史上最多の208周で優勝。今回で最後の8耐と決めていたガードナーは、85、86、91年に次ぐ史上最多の4度の優勝で有終の美を飾った。
日本人初のポールを獲得した武石伸也/岩橋健一郎(ホンダRVF750)は3位で完走する。この年の目玉はF・スペンサーの参戦ですね。
1年落ちのワークスRVFにて、Mister Donuts OKUMURA HONDA からのエントリーです。
結果は4位でしたが、予選での走りは全盛期を思い起こさせるスライドで、当時の話題になっていました。決勝を現地で観戦していた時の記憶では、淡々と走って結果を残そうとしている印象でした。(転倒もしています)
そして、変わり種としてはOVERからOV-15TDMのエントリーです。
6速ミッションが間に合わず、5速ミッションを使用しました。
こちらは残念ながら予選通過とはならなかったようです。
TEAM FUKUI
#45 ジェームス・アダモ/エリック・モー 車名 DUCATI 888 エントリーチーム TEAM FUKUI 予選タイム 2分20秒398 60位 リザルト 決勝44位 160LAP
ジンプライズタイムドゥカティ
ライダーの椎名明選手は、当時のブレイントラストのお抱えライダーで、ジンプライズからのエントリーでありますが、ブレインが大きく関わっていました。
#76 椎名明/D・ウォーカー 車名 DUCATI 888 エントリーチーム ジンプライズタイムドゥカティ 予選タイム 2分18秒219 53位 リザルト 規定周回数未満 74LAP
1993年
TT−F1最後となる8耐は参加台数が激減し、予選落ちのないレースとなった。 スコット・ラッセル/アーロン・スライト(カワサキZXR750)が、ホンダ、ヤマハ勢が脱落していく中、8時間を無事走り切り優勝。カワサキに8耐初優勝をもたらした。
高校生チーム、日本航空高レーシング部が、47位で8時間を完走した。この年の目玉はE・ローソンの参戦です。スポンサーをam/pmとしてカネモトホンダからのエントリーです。
観戦していた私も、E・ローソンの走行写真ばかり撮っていました。
この年の変わり種としては、昨年に引き続きOVERからOV-15A-TDMのエントリーです。昨年のレーサースタイルから変わり、奇妙なデザインのカウルを身にまとって、片持ちスイングアームを採用していました。
Team de'light
現在、イベントレースで有名な2人のライダーで参戦。プライベートチームとしては、良い成績を残しています。
鈴木誠選手は、この後、916CORSAで全日本SBに参戦(チームカタヤマ)していました。
#57 小山勝則/鈴木誠 車名 DUCATI 888CORSA エントリーチーム Team de'light 予選タイム 2分16秒842 23位 リザルト 決勝28位 193LAP
FUKUI&デルタオイルJAP
公式予選では予選落ちしていますが、ファイナルチャレンジという敗者復活戦の10周レースにて1位となり、決勝進出となりました。
フューエルタンクもカーボン製とし、シートレールはアルミに変更。外装の塗装については塗料の重さを嫌ってゲルコート仕上げとしていたようです。ただし重量は160キロ前後もあります。
#63 ロイ・レスリー/檜尾幸穂 車名 DUCATI DM888 エントリーチーム FUKUI&デルタオイルJAP 予選タイム 2分23秒177 56位 リザルト 決勝 位 147LAP
シルバーバード
実際走行しているのは上記の2チームのようです。
事前のエントリーとしては、名前だけ入っていたかもしれません。
(結構こういうパターンはあるようです)
1994年 この年から、予選のスペシャルステージ(1周)が導入され、TT-F1からスーパーバイクへに車両レギュレーションが変更された。
ダグ・ポーレン/アーロン・スライト(ホンダRC45)が優勝。スライトは、昨年カワサキで優勝。この年は、大きな事件が起こりました。序盤に200Rで多重クラッシュが発生(上位陣も巻き込まれた)、8耐初の赤旗中断となりました。
この時、観戦していましたが、本当はうるさいはずのコースが静まり、バイクが走っていない昼間の8耐が妙に感じたのを覚えています。
ゴールについても中断の影響で赤旗終了(75%を消化し成立)というもの。この時、1位と2位は熾烈な争いで、タイム差がコンマ2秒という接近戦となりました。
FUKUI&デルタオイルJAP
今回は、大幅にタイムアップしています。それにしてもオーストラリアンのロイ・レスリーは、ここのお抱えさんになっていますね。
この予選タイムはもう1人の方ですが、2人ともほぼ同じタイムを出しています。マシンの出来も良かったのでしょうか?
ただ、決勝は序盤にリタイヤです。(多重クラッシュに巻き込まれたのか?)それらしいLAPで終わっています。
#80 ロイ・レスリー/土居秀敏 車名 ドゥカティ888 エントリーチーム FUKUI&デルタオイルJAP 予選タイム 2分15秒230 29位 リザルト 決勝 位 12LAP
チームRS KOGA
敗者復活戦の10周レースにて16位となり、決勝進出となりました。
前年と規定が変わり、このファイナルチャレンジの出走台数が増えています。
#49 長尾浩二/本田敦嗣 車名 ドゥカティ851S エントリーチーム チームRS KOGA 予選タイム 2分20秒214 56位 リザルト 決勝38位 161LAP
1995年 アーロン・スライト/岡田忠之(ホンダRC45)が、大会史上最多の212周で優勝。スライトは大会初の3連覇を達成。
根本健と組み5年ぶりに8耐に復帰した平忠彦が、32位で完走を果たす。非力なTRX850を駆り、主催者推薦で決勝進出した末の健闘。この年の目玉は平/根本組のTRX850でした。当時、私もTRX850に乗っていたので、上位陣は半分どうでもよく、このマシンばかり見ていました。ミラーコートのスクリーンがよく目立っていて、遠くからでも確認がし易かったです。
Panasonic FUKUI
今回は、Panasonicがスポンサーについています。
第二ライダーの安田利津子選手が、松下電器のOLさんのようで、この辺りがスポンサー獲得の元になっていたのかもしれません。
カラーリングは前年までと変わり、濃いブルーに変更。
他車と比べて遅すぎたことを記憶しています・・・
完走はしていますが、主催者推薦枠での決勝進出でしたので順位はついていません。
ベースマシンは正確にはわかりませんが、888SP3と思うのですが・・・
#56 石田浩史/安田利津子 車名 ドゥカティ888 エントリーチーム Panasonic FUKUI 予選タイム 2分22秒629 63位 リザルト 決勝 賞典外 163LAP
1997年
伊藤真一/宇川徹(ホンダRC45)が、日本人ペア15年ぶり2度目の優勝を飾った。
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
1999年 岡田忠之/アレハンドレ・バロスが優勝。
国内最高峰のレースとして、90年には過去最多の16万人の観客動員を記録した鈴鹿8耐も、96年の10万1000人、97年で7万5000人とついに10万人を割り、翌98年には7万人まで落ち込んでいる。本年は8万5000人とやや持ち直しているというものの、一時期の勢いまで回復することは難しいであろう。
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
2001年 GP500でランキング1位のバレンティーノ・ロッシ/昨年のSBK覇者のコーリン・エドワーズ/、鎌田学(ホンダVTR1000SPW)の鉄板トリオが下馬評の通り、217周で最多周回記録を更新しての優勝。
低迷する観客動員に対するテコ入れを切望するレース主催者とTBSのバラエティー番組「ガチンコ!」がタッグを組み、企画モノとして参戦した藤田啓之/浜口喜博(ヤマハYZF−R6)は、方々で物議を醸したが、18位、202周を完走を果たした。
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
2002年
加藤大治郎/C・エドワーズ(ホンダVTR1000SPW) が219周と周回記録を更新しての優勝。
ホンダはこれで、史上最多記録を更新する6連覇を達成したが、一方、ホンダの覇権がレースをつまらなくしてしまったという印象も否めない。
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
# / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP
2003年
ラ・ベレッツァスピード
#4 / 車名 エントリーチーム 予選タイム リザルト 決勝 位 LAP